ようやくたどり着いた上部軌道は下界から隔絶した別天地のように思えました。しかし意気揚々と歩き出そうとすると・・・
いきなり広範囲にわたって路盤が消失。吊り橋の残骸が残る沢を越えてやっと軌道跡が復活します。
とても穏やかな直線を進み、
風通しのよい場所をぬけ、
落ちたら下界へ1直線という崩落を越え,(左の写真に小さく写っているロープはトラップである。その上を高巻きした)
そして大きな沢が目の前に現れた。
稲又森林鉄道 7 に続く
前回インクラインの手前まで紹介したが、その前に稲又橋付近の軌道について少し言及したい。時系列的にはこれより後の探索になるが、早い話が軌道は現道より上方を緩やかな斜度を保ちつつインクラインの手前まで降りていっていた。ほとんど崩落したり現道に削られているが、わずかながらレールや切り通しが残っている。
それでは本題であるインクラインのことに移ろう。前回の軌道跡から少し進むとそれは簡単に発見できた。
碌な写真で無くて申し訳ないが、これがインクラインの基部である。ここから延長252mを駆け上がり上部軌道に接続している。そしてこのインクラインの特徴として写真の木のあたりを小さな沢が流れており、木橋でそれを越えていたのである。残念ながら現存せず木材が散乱するのみだが。
下の写真はそれぞれ下側と上側の橋台部分である。
上の橋台から
そしてインクラインが姿を見せる。が、登り始めは植林のせいもあって不明瞭だ。
しかし高度を稼いでいくと・・・
レールこそ残っていないが往年の雰囲気が十分に伝わってきた。
稲又森林鉄道 6 に続く
図らずも支線から攻略することになってしまったが、当初は支線の存在すら知らなかったのでこれはこれで良しとする。まだ本線との分岐地点から切り通しまでが未攻略だが、支線はひとまずおいといて本線を攻略することにした。ネットの数少ない情報によると本線は道路に沿って稲又沢の左岸を進んでいたらしく(最初の探索前はそこまで調べていなかった)稲又橋を渡らずに前進する。
ちなみに左を見ると割と有名になった旧稲又橋が見えるが、川沿いの道はこの橋の付け根から下り坂になっており軌道が通っていたにしては少し違和感を感じた。
しばらく進むと砂利道になるが情報では確かこの辺に・・・
あった!削られ崩れつつも軌道跡がしっかり残っている。そして、
埋もれてはいるが貴重な敷設されたままのレールと石垣を発見!どうやら軌道は今の道よりも山沿いを通っていたようだ。
そして稲又森林鉄道の目玉の一つであるインクラインがその姿を現す。
稲又森林鉄道 5 に続く
そしてここからが地獄の始まりだった。自業自得とも言うが・・・。
軌道跡は岩を穿ち崖を削りながら徐々に高度を上げていく。何か所か崩落を越えながらひたすら進んでいくが・・・
すでに河原から数十メートルの高さにまで上昇していたが、昔は木橋か桟橋で超えていたと思われる断崖に遭遇。はいアウト。
しょうがないので下に降りれそうな斜面まで戻り河原へ。
河原を進み、索道のワイヤー(?)が延びている地点で再び軌道跡へ。
再び前進。しばらく進むとまたもや崖。少し戻って河原へ降りる。川に突き出た尾根状の場所から再度登攀。
前進するが今度は崩落。
この辺で私の心が折れた。真夏のお盆近くの猛暑日に河原から軌道跡までウン十メートルを昇り降りしていりゃあ当然の結果である。後日、地形図から目安をつけて稲又集落の先にある稲又トンネルの脇から降りてみると、軌道跡の続きを確認することができた。だがその先の尾根の部分を最後に軌道の痕跡を見つけることが出来なかった。 ~稲又森林鉄道 完 ~ ではなく結局この軌道跡は支線のものであった。次回はようやく本線に戻り様々な遺構に遭遇することになる。
稲又森林鉄道 4 に続く
完全に間違っていたと思っていただけにこの発見は嬉しかった。どうやら軌道はもっと前に道から分岐していたようだ。ちなみに後ろを振り向くと・・・
斜面にわずかな踏み跡があるだけで平場は見えなかった。とにかく前へ進むことにする。ちなみに切り通しを後ろから見ると”漢らしかった”(笑)
しばらく進むと稲又沢で路盤は途切れてしまう。水が無い砂利の河原を反対岸へ歩いていくと橋の一部らしき杭と軌道跡、そして平場が現れた。
さてはここが事務所跡かと思ったが、あいにく林鉄お馴染みの空き瓶ぐらいしか残っていない。”全国森林鉄道”にはここから斜度30度ほど、延長252mのインクラインで高度を稼ぎ、稲又沢の奥地に達していたとあるがインクラインらしきものは見つからず、逆に軌道跡は稲又沢ではなく本流の雨畑川にそってゆるやかに高度を上げていく。なんかおかしい・・・。
考察はさておきとりあえず前進してみる。
( 稲又森林鉄道 3 に続く )
ここは山梨県早川町の雨畑湖。その湖岸にある雨畑の集落のはずれに見神の滝という見事な滝があり、そこに稲又森林鉄道の貯木場が存在していた。そして軌道跡はほぼ現在の道路に転用されていると言う。確かにそのまま流用するのがうなずけるような場所を道が通っている。
JTBの”全国森林鉄道”によると雨畑川と支流の稲又川の出合付近に事務所が存在し、そこからインクラインが延びていたという。国土地理院の地図を見ると千島隧道の横から点線の道が河原近くまで下がり稲又川との出合まで通じているので、現地に行く前の自分はこれが軌道跡だと思い込んでいた。(実際には部分的に当たっていたのだが。)
坑門の横の土砂を越えて侵入する。だが実際に下ってみると平場で道は途切れてしまい、どうやら本流の砂防ダムの作業道のようだった。しかも平場より下へは踏み分け道の急斜面で完全に軌道跡という可能性は消えてしまった。それでもとりあえずはと斜面を降りていく未練がましい自分。河原の近くまで降り、ふと横を見る
「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
軌道の切り通しを発見した! ( 稲又森林鉄道 2 に続く )