人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

十津川村の林鉄廃隧道(?)06

f:id:msx4:20170613155620j:plain

そこは山の斜面を掘り下げて作ったちょっとした広場になっていた。それは少しもおかしくない。おかしいのは地面の高さで隧道の床面との高低差が1mちょっとある。

f:id:msx4:20170613160502j:plain f:id:msx4:20170613161214j:plain

坑門の前にコンクリの基礎のようなものがあるから元からこの高さであったことは間違いない。そして20mも歩くと急斜面が川に向かって落ち込んでおり、そこから先に道の跡は見受けられなかった。この先に道は無い。ここが終点で木材を集めていたのならおかしくはないが、もしこの先に道があり行き先があるとすれば・・・

f:id:msx4:20170613224956j:plain

道筋の直線上には風屋ダムがそびえている。昭和33年本工事が着工されており、林鉄は20年代まで稼働していたという。(wiki及び日本の廃道より)風屋ダムの建設資材を土場のあった場所から2本の隧道を通り、終点から索道(ロープで荷物を吊るす方法)で運んでいたのではないか?つまり林鉄の軌道跡ではなくダム工事の資材運搬用の軌道跡ではないか?そう思った。日本の廃道17年4月号がでるまでは。

明細は省くがやはり林鉄の跡ではないかという推論と証拠が載っていた。ありゃりゃ間違ってたか、でも個人的には見つけたものが林鉄由来のほうが嬉しかったりする。林鉄屋だし。そしてつい先日の5月、天川村探索のついでに2年半ぶりに訪問した。時刻は朝6時。元土場の小学校横に車を止め、探索の準備を進めているとむこうから朝のウォーキングをしている人が歩いてきた。

 

「釣りかい?」  「いえ山歩きです」  「どこの山に登るのかね」   「いえ、この上の(指差しながら)ほうにある軌道跡の隧道を見にきたんですよ」   

 

 

   「ああ、ダム工事のベルトコンベヤの」   「 え 」

 

まさかの衝撃的証言であった。やっぱりダム工事のものだった?恥ずかしながら衝撃で会話の細かい部分を忘れてしまったが”昭和32年”という具体的な年数が出てきたのは覚えている。そして”ベルトコンベヤ”という固有名詞が出てきたことはこの証言の信ぴょう性が極めて高いと思われる。というかダム工事にしても軌道じゃなくて、ベルトコンベヤか!林鉄専門で近代土木のほうに頭が回らなかった結果がこれである。だがこれで幾つかのことが腑に落ちた。軌道用にしては見たことない形の橋脚。隧道内で軌道と違って上を歩く訳にはいかないので中心よりずれた設置場所。何よりあの”木”はコンベヤをおく台だと考えると納得がいく。

f:id:msx4:20170614010952j:plain そして1つめの隧道前に落ちていた電気部品(名前知らない)に描かれた1957(昭和32年)の数字。やはりダム工事か。でもそれだとおかしいというデータも出ている。むむむ?

f:id:msx4:20170614012033j:plain 隧道内のかえるさん、何か知らんかね?

 

f:id:msx4:20170614012320j:plain 考えてもわからないので朝食をとる。

 

f:id:msx4:20170614012946j:plain 2つめの坑門を横から見る。正面から見える部分がそのまま山肌に、というわけではないようだ。

 

f:id:msx4:20170614013751j:plain ふと横を見ると踏み分け道らしきものがある。

 

 

 

f:id:msx4:20170614014734j:plain

 

         ・・・ナニカ見エルキガスルンデスガ

 

 

               十津川村の林鉄廃隧道(?)07へ続く