道のすぐ横に見えた谷間は掘割のように見えた。そして気になるあそこは・・・
残念ながら谷間の最奥部に穴は無かった。とにかく下のほうから回り込んでみる。
こちら側の山肌は全体的になだらかな斜面が広がっているが、ここだけ地形的に不自然な谷が稜線に向かって延びている。多分間違いない、これが明治未成隧道の跡だと思われる。掘割だけ掘って力尽きたのか、それとも多少は隧道を掘り進めたのか、地面を見ても判断はつかなかった。
上の2枚は6年ぶりに訪れた現場の写真。変化はない。
掘割の奥より。このまま外に出て少し進むと古道と合流する。実際、古道からこの峠の下を隧道で抜けるとすると場所的に合っている。
そして何故か反対側に回らずに山を降りる6年前の自分。楽しみは後にとっておこうとしたのか?。解せぬ。抉れたような古道自体は割としっかり残っていたが、倒木や竹のせいでろくに歩けなかったことを明記しておく。
再度尾根の上に立つ。このあたりが掘割の延長線上でお地蔵さまの裏手にあたる。
そして向天方側を見下ろすとこちらは天然の谷が尾根のすぐ下まで延びている。さっそく谷底へ降りてみた。
こちら側にも穴は無かった。残念ながら遺構といえるものは反対側の掘割のみのようだ。もし両側から掘り進めたのならこちら側は穴を掘っていると思うのだが。そもそもなんで中止になったのかが分からない。資金難のせいかそれとも地質的な問題か。真相は歴史の闇の中である。・・・・写真の暗闇はたまたまそれっぽく写っただけですのであしからず。
森町の明治未成隧道探索 (完)