人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

吹上橋と千石橋 後編(石川県羽咋市)

なんだこれ?

いや、吹上橋と同じただの桁橋と思いきやなんだこれ?コンクリート橋の上に更に桁橋が載っている。これはもしや最近巷で話題(?)の橋・オン・ザ橋?橋上橋?それともまさかまさかの最初からこのデザイン!?

下にも欄干があるが親柱が見えないので最初からの装飾にも見える。いやでもこんな造りにする必要性がないし。でも下の橋(?)の前後に旧道の跡も見当たらない。むむむ。

また、橋上橋だとしても橋の上に直接橋脚を建てている造りは自分は他に見たことがない。以前うちのブログで紹介した悪口寺橋は独立した新旧の橋が1か所にあるだけだし

国道から見える橋 前編 - 人生崖っぷち(物理)

群馬にも一本あるのを知っているが普通に重なっているタイプだった。

まあ、なにはともあれあそこに行きたい。立ちたい。歩いてみたい。

しかしここからだと尋常でない藪と落葉のせいで近づくことはおろかあそこまでたどり着く足場も見えない。

ならば反対側へと現道の擁壁沿いに足を踏み入れるがこちらも崖になっていて無理だった。

すぐそこなのに遠い。残るは対岸の上流側だが・・・

よし!ここから行けそうだ。テレビや電話機が転がる斜面を抜けて橋に接近する。

親柱を見上げる。ここだけ見るとボロボロの台座の上に新しい橋を載せたようにも見えるが。

橋の上?もしくは中?の空間になんとか立つことが出来た。

4本組の柱が2列並び、計8本の橋脚で上の橋は支えられている。

国道側の突き当たりはこんな感じ。もし旧橋の上に橋を建てたならこの先に道があったはずだが・・・

欄干はいたってシンプルな造りだ。

柱の状態がなんというかひどい。昭和一桁の廃橋ならこんなものなのか?

対岸側の突き当たり。国道側と似たような感じだ。

欄干の端は普通に途切れていたが、親柱があったかは分からなかった。

中の空間も緑が侵食している。

この柱も最初からなのか後付けなのか。橋脚の根元も土に埋もれてよく分からない。

結局この場ではこの橋の正体は分からなかった。

しかしなんとか側面が見えないかとあがいた所為で、この面白い橋に気付けたのはラッキーだった。

旧道を抜けて国道上より眺める。

車だとこの景色が一瞬見えるだけなので、ごく普通の廃橋にしか見えない。

下流側も、よく見ればなんとか分かる?というぐらいに薮で隠れている。

 

さて、肝心の正体についてだが、ネットで調べてみたが位置情報ぐらいで廃関係での記事は見当たらない。しかし1件だけ石川県立図書館の資料がヒットした。直接行くしか閲覧出来なかったので調べに行ったのだが、資料が違う、データベースに載っていない、と迷走したあげく書庫より取り寄せたのは昭和50年台の新聞の連載記事のスクラップブックだった。

 

それは”橋のある風景”という1部マニアにささりそうなシリーズの記事で、恵みの水通す二重橋、と副題がついていた。

そして記載されていたその正体とは”旧橋の上に新橋を建てた橋上橋”であった。

そうなった理由、それは上流に建設されることになった県営神子原貯水池が原因であった。(上記画像)

もともとあった千石橋(多分木橋だと推測される)が昭和初期にコンクリート橋に架け替えられた。これが現在の下段の橋だ。しかし同8年に貯水池の建設話が持ち上がり、水没してしまう道路のかさ上げに伴って、コンクリート橋の上に更に橋脚を建てて高さを合わせた上段の千石橋が架けられたというのが真相であった。

当時はその珍しい姿から話題となり、地元では二重橋の通り名で呼ばれていたそうだが、後に県道(現在の国道)が造られると旧道となり、通る人もほとんどいなくなったと記事に書かれていた。

結論。この”奇橋”一見の価値あり。

 

              吹上橋と千石橋 完

 

   #次回は異動と引っ越しのためしばらくお待ちください

 

   参考文献 読売新聞記事 橋のある風景(48)千石橋 石川県立図書館

吹上橋と千石橋 前編(石川県羽咋市)

ここは石川県羽咋市の国道415号線。東側の富山県氷見市へと抜ける能登半島を横断する(といっても3、40分ぐらいだが)ルートのひとつだが、ここを通ったとき少し気になるものが見えた。

写真からバレバレだが、国道に並行して流れている飯山川へと向かう下り坂がある。

そこに古そうな橋があった。

国道の横を流れる川を渡る橋、と言えばありふれたものに聞こえるが、年季の入った見た目が気になって調べてみると、こちらが今の道の旧道であった。

名前は吹上橋。

昭和7年4月。昭和一桁の生まれか。

構造は単純な桁橋だが、欄干のデザインが目を引いた。

  

アーチ型の窓と

三角形の金具を組み合わせた飾り窓。この二つを交互に配置したおされなデザインなのだ。

下が埋もれている国道側と違い、対岸側は親柱がはっきりと見える。

現道と高低差があるので滑り止めの溝をつけた急坂で連結しているが、濡れていると滑りそうで怖かった。

昔の地図を見ると千石町と神子原町を含んだ数百mだけ対岸に渡っていたようだ。

上流へと旧道を歩いてみる。

この道は農地へのアクセスに使われているが、逆に言えば民家は1件もなく今はただそれだけに使われている。

上流側の橋の手前に通行止めの看板と三角コーンでの封鎖が。

竹や藪に侵食された道の先にもう一つの橋が姿を現した。

「昭和8年10月竣工」先ほどの吹上橋より少し新しい。

「千石橋」こちらは地名が由来か。

こちらの欄干には金属棒を通したと思しき穴が空いているが撤去されている。戦争で回収されたか?

橋上は土が溜まり自然に帰りつつある。

反対側の親柱はご覧のように雑草だらけで、写真がうまく撮れなかった。

あとは一応横からの写真も撮ろうとしたが、冬なのに藪のせいで見渡せない。しかし渡った先の上流側に砂防堰堤へと降りる階段があった。ちょっと使わせてもらおう。これなら横から見

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


           え?

 


   吹上橋と千石橋 後編 へ続く

池郷川の道々 4

石垣が組まれた木馬道跡を歩く。状態は可もなく不可もなくといったところか。

土砂や落石が積もっていても、道自体に大きな崩落などは見当たらなかった。しっかり出来てる。

削られた岩壁沿いに進む。足元はやや崩れかけているがさほど問題はない。

夏場に比べればまだましだろうが、灌木や藪がうっとおしい。しかし足元の石垣が道をはっきりと示してくれているのはありがたい。

しかし車道の林道、林道下の2本の道に続いてこれで4本目だ。林道の片岸だけでこれだけ道が集中しているのは探索する者にとっては面白くて良い場所だ。

歩き始めて40分ほど過ぎた頃、道は小さい広場で終わっていた。その先は人ひとり歩ける程度だったので、ここから索道で下ろしていたのか?

林道に復帰。今度は下だ。

寄り道をしたが、隧道の上流側を目指して下降を開始する。

尾根になっている場所を辿って下へと降りていく。

河原が見えてきた。しかしここは降りられない。なんとか降りられそうな場所を探す。今回は前回と違って渡河用に長靴を持ってきたので川を歩くことが出来る。

なんとか河原に降り立つことが出来た。堰堤の上流なのでなだらかだ。

しかしその砂防堰堤がゆく手を阻む。写真の奥側にも見えている階段状の場所を降りられるかと思ったがダメだった。見ての通り途中で斜めになっているからだ。

堰堤の上から覗きこむ。滝も近いはずだし、多分場所的にこの辺だと思うのだが・・・

はたして怪しげな暗がりがあった。が、角度の問題で隧道であると断言できない。多分ここだと思うのだが、これ以上はどうしようもない。泣く泣く撤退する。あそこに直接降りるルートを見つけない限りは無理だ。

ついでに2本の道を上流へとたどってみる。

 

さほど歩かないうちに上の道は谷間で消えており、下の道は先に続いていたが、絶妙に突破できない割れ目のせいで先に進めなかった。この分だと上流でも分断されていそうで、探索は一筋縄ではいかないようだ。

2話のラストの工事現場は工事が終了し車が通れるようになっていたが、この奥の大崩落した場所は復旧まで時間がかかりそうだ。

この時の探索を最後に隧道の上流側を目指すのは一時諦めてしまった。それよりも2本の道のほうが興味を引いたからだ。一回目の探索の後、改めて"日本の廃道"の下北山村史の引用部分を読み返してみると、河口の軌道とは別に池郷川の奥にもトロッコが引かれていたらしい記述があった。この二本の道、軌道関連かもしれん。


   次回予告 池郷川続き もしくは 能登の旧道区間の橋

 

池郷川の道々 3

時は流れ2013年、再度,池郷川を訪れた。前回見れなかった隧道の上流側に辿り着くことが第一目標だったのだが・・・

綺麗に枝打ちされた杉。

使われなくなった集材機。切った木をワイヤーにぶら下げて運ぶときに使う機械だ。

深い谷を越えて未だ対岸へと延びるワイヤー。

対岸に聳え立つ巨岩の塔。石ヤ塔と呼ばれる景勝地はもう少し上流にこんな塔が林立している。

実は林道入口に告知があったのだが、それがこの通行止めだ。すぐそこに原因は見えている。

土砂崩れ、地滑りか?が起きて林道がぶった斬られている。

巨大な谷が遥か下方の谷底まで出来上がっている。控えめに言って相当エグい。

 

行き止まりから引き返して谷への降下地点に戻る途中、ふと上を見上げた。

なんか見える。

なんかじゃない。浅い涸れ谷の上に石垣が見えた。上にも道がある!?

頭上の岩壁の隙間を埋めるように食い込むように石垣が組まれている。

谷をよじ登ってみる。やはり道だ。林道を含めると4本目だ。

道よりも少し上から見下ろす。この広さは木馬道か。谷には木橋が架かっていたのだろう。

石垣が組まれている上流側は崖になっているため、残念ながらあちら側に登ることが出来なかった。

思わぬ発見だがこれを見逃す手はない。下流方向に向けて歩いてみよう。

 

    池郷川の道々 4 へ続く

池郷川の道々 2

木流し隧道の上流側坑門を目指して斜面を降りていった自分の前に意外なものが現れた。明らかに徒歩道よりも広い木馬道、もしくは軌道レベルの道があったのだ。(2024年撮影)

ちょっと気になったが、この時はあくまで隧道の反対側が目的なので更に下へと降りていく。

(2024年撮影)

しかし、更に降りていった先にもう1本同ランクの道が出現した。むむむ、流石に無視できなくなってきた。何だこいつらは?

2本目の道は林道からは6、70mほど降りただろうか。林道と河原の間にまさか二本も道が走っているとは思わなかった。当時はこれは多分木馬道だろうと推測していたが、なぜ2本あるのかが謎だった。

正体はともかく、坑口があると思われる地点はまだ下流のほうなので、この道を使って移動することにした。

うげ、浅い谷状に窪んで道が途切れている。しかも所々岩盤が露出していて土のように足場を踏み固めるのも難しい。ろくに掴まるところもなかったがなんとか通り抜けた。

山側の岩盤はしっかり削られており、谷側には要所要所に石垣があった。かなりしっかりした土工の跡だ。

再度谷間が現れる。土の地面が広かったおかげで先ほどよりは楽に渡ることが出来た。

そろそろか?と思った矢先に

道が無くなっている。崩落したのか、それとも桟道だったのか。

なんとか降りられそうな斜面を見出して強引に降下していくと河原と堰堤が見えた。が、これ以上は降りられない。それに地形からしてどうやら隧道は堰堤の下のようだ。川を歩く装備をしてこなかったので上流で河原に降りても意味がなく、残念だが撤退することにした。

帰路につく、が、もう一度谷を越えるのが嫌だったので適当なとこで登っていく。と、頭上に石垣が見えてきた。最初に見つけた道だ。

上を歩いているよりも、こうして横や下から見たほうが道だということがはっきり分かる。やはり石垣と削られた岩壁の組み合わせはカッコイイ。

せっかくなのでこちらの道も下流へと辿ってみる。行けるか?

ダメでした(笑)こちらも行き止まりだった。目の前の岩壁はどうやって越えていたのか。

さて、こんどこそ撤収だ。

結構な急斜面を登り林道に復帰した。

林道に復帰して少し歩くとご覧のように修理半ばの場面に出くわした。この林道は割と通行止めになることがが多い、というかこの渓谷自体が人間に厳しいというべきか。
当初の目的は隧道と河口近くの軌道跡だったが、どうやら奥の方も面白そうということがこの探索で分かった。再訪することがこれで決まった。

 

     池郷川の道々 3 へ続く

 

池郷川の道々 1

今現在、奈良県下北山村へ北から入るルートが12月23日の土砂崩れにより通行止めとなっており、関西圏からは広域の迂回を強いられている。観光や生活に少なくない影響が出ており、3月いっぱいまでソロキャンしている貞子(現地でコラボ中)も困っているだろう。なるべく早期の復旧を願っている。(崩落部分を迂回する仮橋を6月ぐらいまでに設置するらしい)

                      下北山村スポーツ公園の貞子さん

 

今回はその下北山村の物件になる。長い付き合いにもかかわらずここは未だ全容が見えていないが、その1部を紹介しようと思う。

初訪問は2012年12月。写真は下北山村にある下北山スポーツ公園の入口から西を向いたところ。正面の山に挟まれた場所から右奥のほうへと延びているのが池郷川が目的地で、これからそこに足を踏み入れようとしている。同人誌日本の廃道78号に掲載された軌道跡と隧道を見にきたのだ。

公園の看板には小又川発電所の文字から上流の滝マーク近くへと延びる点線があるが、これの途中ぐらいまでが大雑把だが軌道跡と思ってもらいたい。

墓地の横に車を停めて川沿いの小道、軌道跡を歩き始める。

途中、現在の歩道と軌道跡は離れたり一緒になったりをくり返す。写真では石垣の上が軌道跡だ。

途中、絶壁を桟道で越えていく。軌道時代はここが最大の難所にしてクライマックスであったに違いない。

軌道はほどなく平場で終点となり、その更に奥には入り組んだ地形に隠された不動滝がそびえて行くてを阻んでいる。しかしもう一つの目標はその手前になる。川沿いの岩場を進んでいくと・・・

あった。岩壁に穴が空いている。すごい場所に隧道がある。人ではなく、木を流して運ぶための特殊な林用隧道がその正体だ。ここ池郷川では奥地で採伐した木を川に流して運ぼうとすると、前述した不動滝が邪魔になる。その不動滝を避けるために掘られたのがこの隧道だ。写真で見ていたとはいえ実際にその目にすると非常にインパクトがあった。

下流側の斜面を登り桟道に出たあと、堆積した土砂を乗り越えて進んでいく。(ここは後年シャレにならないほどヤバくなってくる)

坑門に着いた。正面に見えるやばそうな道の続きは一旦スルー。

隧道に到着。1歩中に入ると交通用とはまた違うゴツゴツとした底が印象的だった。

振り返るとすぐそこは空中だ。隧道の奥から流れてきた丸太は勢いよく宙へと飛び出して下の河原に落下したという。そんなダイナミックな運用をされた隧道はこの時・・・

これまたダイナミックに閉塞中だった。土砂ではなく、上流から流れてきた木が途中で詰まっているのだ。

世の中にトンネルは多かれど、木が詰まって閉塞した隧道はこれだけじゃなかろうか。ちなみに現在はこの木は無くなっており、普通に通ることが出来る。

坑口の向こう側に続く道は怖くて進めなかった。ここを進む人はおかs・・・それはともかくなんとか隧道の上流側を見たい。

という訳で少し下流の枯れ谷を高低差100mばかし登る。

林道に出た。

下北山の街並みが小さく見える。

だいたいこの辺か?下流側から行けないのなら、上流側の坑門に直接降りればいい。

おおよその見当をつけてなんとか降りられそうな斜面を降りていく。すると・・・

 

 

       池郷川の道々 2へ続く

次回予告

更新しなくて申し訳ありませんでした。能登地震以降モチベーションが上がらず、なんとか持ち直してきたところで初コロナ(笑)。轟沈していました。あと、切実におもしろいネタ不足。という訳で未だ断片しか探索していないネタですが

 

 

・・・ここは知ってる人は多いだろうが、ここより”奥”のレポは沢屋や釣り師のしか見たことないので12年前からののぞき見をちらりとお見せしたい。

 

    池郷川の道 少々お待ちください