人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

十津川村の林鉄廃隧道(?)06

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そこは山の斜面を掘り下げて作ったちょっとした広場になっていた。それは少しもおかしくない。おかしいのは地面の高さで隧道の床面との高低差が1mちょっとある。

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坑門の前にコンクリの基礎のようなものがあるから元からこの高さであったことは間違いない。そして20mも歩くと急斜面が川に向かって落ち込んでおり、そこから先に道の跡は見受けられなかった。この先に道は無い。ここが終点で木材を集めていたのならおかしくはないが、もしこの先に道があり行き先があるとすれば・・・

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道筋の直線上には風屋ダムがそびえている。昭和33年本工事が着工されており、林鉄は20年代まで稼働していたという。(wiki及び日本の廃道より)風屋ダムの建設資材を土場のあった場所から2本の隧道を通り、終点から索道(ロープで荷物を吊るす方法)で運んでいたのではないか?つまり林鉄の軌道跡ではなくダム工事の資材運搬用の軌道跡ではないか?そう思った。日本の廃道17年4月号がでるまでは。

明細は省くがやはり林鉄の跡ではないかという推論と証拠が載っていた。ありゃりゃ間違ってたか、でも個人的には見つけたものが林鉄由来のほうが嬉しかったりする。林鉄屋だし。そしてつい先日の5月、天川村探索のついでに2年半ぶりに訪問した。時刻は朝6時。元土場の小学校横に車を止め、探索の準備を進めているとむこうから朝のウォーキングをしている人が歩いてきた。

 

「釣りかい?」  「いえ山歩きです」  「どこの山に登るのかね」   「いえ、この上の(指差しながら)ほうにある軌道跡の隧道を見にきたんですよ」   

 

 

   「ああ、ダム工事のベルトコンベヤの」   「 え 」

 

まさかの衝撃的証言であった。やっぱりダム工事のものだった?恥ずかしながら衝撃で会話の細かい部分を忘れてしまったが”昭和32年”という具体的な年数が出てきたのは覚えている。そして”ベルトコンベヤ”という固有名詞が出てきたことはこの証言の信ぴょう性が極めて高いと思われる。というかダム工事にしても軌道じゃなくて、ベルトコンベヤか!林鉄専門で近代土木のほうに頭が回らなかった結果がこれである。だがこれで幾つかのことが腑に落ちた。軌道用にしては見たことない形の橋脚。隧道内で軌道と違って上を歩く訳にはいかないので中心よりずれた設置場所。何よりあの”木”はコンベヤをおく台だと考えると納得がいく。

f:id:msx4:20170614010952j:plain そして1つめの隧道前に落ちていた電気部品(名前知らない)に描かれた1957(昭和32年)の数字。やはりダム工事か。でもそれだとおかしいというデータも出ている。むむむ?

f:id:msx4:20170614012033j:plain 隧道内のかえるさん、何か知らんかね?

 

f:id:msx4:20170614012320j:plain 考えてもわからないので朝食をとる。

 

f:id:msx4:20170614012946j:plain 2つめの坑門を横から見る。正面から見える部分がそのまま山肌に、というわけではないようだ。

 

f:id:msx4:20170614013751j:plain ふと横を見ると踏み分け道らしきものがある。

 

 

 

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         ・・・ナニカ見エルキガスルンデスガ

 

 

               十津川村の林鉄廃隧道(?)07へ続く

 

 

 

十津川村の林鉄廃隧道(?)05

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まさかの2本目である。何か変だと思いはじめた。何故なら今いるこの場所は蛇行した支流の栗平川によって半島状になっており、国道の高原隧道の坑門から真横に1kmちょい進むとぐるりと回って反対側の出口にぶつかり、2kmも進むと小さいほうの高原隧道、つまり上流に向かう軌道の本線にぶつかってしまうような狭い土地なのである。そんなところに隧道を2本も造るのは採算的にどうかと思った。

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それとこの隧道内部である。床が全面コンクリートで固められ、ボルトのついたコンクリートの土台が等間隔に並んでいる。しかも中心から少し横にずれている。この時までは林鉄の軌道だと確信していたのでこれを見た時は何か特殊な作りの軌道なのかと真剣に悩んでしまった。そしてしばらく進むとソレが現れた。

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木?木のレール!?まさか木製レール?鉄のレールの普及以前にごく一部で使われたというあれか!?といった感じでこの時はだいぶ混乱していた。何せ現物どころか資料さえほとんど見たことがない代物であり、パッと見レールにしか見えなかったから

というのもある。でもだんだん落ち着いてきてよく見てみると

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木製レールなら上に鉄板を張り付けているはずだがそれらしきものが見えない。しかも固定に使われているボルトが上にとび出ている。他にも天井に電気が通っているのに年代的な違和感など疑問点がいろいろと出てきて・・・ええいとりあえず横に置いといて前進してみよう。

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天井はコンクリ巻き、素掘り、コンクリ巻き、素掘り、コンクリ巻きの順で床は一部土砂が堆積していたけれど多分全面コンクリートで施工されている。そして出口は

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                  ん?

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                    え?

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               なんじゃこりゃ?

 

            十津川村の林鉄廃隧道(?)06へ続く

           

 

十津川村の林鉄廃隧道 04

 

前回より3カ月後の2014年11月、2度目の探索のため再び十津川村を訪れた。下の写真は風屋大橋から高原隧道を写したものだが、右の街灯の電球あたりの高さに隧道が通っていたと思われる。現隧道の上に旧隧道というのはよくあるパターンだが、ここに現道とクロスするような隧道があったというのは前情報か偶然でもない限り気付かないだろう。

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f:id:msx4:20170607161027j:plain この川沿いの斜面が今回の目標であるが、前回の探索から一抹の不安を感じていた。はたして道はあるのだろうかと。

f:id:msx4:20170607162624j:plain 前回撤退地点から藪に突入!草はともかく灌木の枝が邪魔でしょうがない。

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すぐに橋脚らしきコンクリート塊”のみ”を発見。やはりこちら側は隧道より前と違って桟橋が主なのか。

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位置も形もバラバラな橋脚(?)ばかりが見つかるが逆に言えばそれだけ。たぶん木製の作業軌道だと思われるが、せめてレールの1本でも見つからないと面白くもなんともない。正面を見ても木々に視界をさえぎられ、上を見ても

 

 

 

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                   は?

 

がさごそがさごそずるっがさごそがさごそ(斜面をはいあがる音)

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       2本目発見!!

 

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 貫通している。しかもけっこう長い!

 

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               ・・・・・何この床?

 

             十津川村の林鉄廃隧道 05へ続く

十津川村の林鉄廃隧道 03

驚いた。終点を探しに来たのに更にその先があったことに。当たり前のことだがトンネルを掘るほうが普通に道を作るより手間も金もかかる。その手間をかける価値もしくは目的があったわけだ。というのは落ち着いてから思ったことで、見つけた時は雄たけびをあげて喜んでいたのが事実である。何せ時前の情報に無く、ネット上に未出の物件である。この業界にいて喜ばないほうがおかしい。(と思う)

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残念ながら閉塞しているのが一目で分かった。というか横を覗くと国道のトンネルの真上だった。トンネル工事の際につぶされてしまったのだろう。残念。

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とりあえず反対側の坑門を探しに行く。右は崖で左はコンクリの斜面だが少し戻ったところで昔の峠道を発見。それを使って高巻きをする。峠は✕字状に道が交差しており、尾根道と峠の向こう側に降りる道、そして都合よく進行方向に進む道があった。

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しかし急角度の坂道を下っていくと灌木と藪の中に道は消えてしまい、反対側の坑門もこちらは完全に潰されたようで確認することが出来なかった。ただ木々の間にコンクリの橋脚らしきものが確認でき、桟橋の道が続いていただろうとは推測することが出来た。といったところでこの時は時間切れで撤退。未知の隧道の発見という戦果に満足しながら帰宅の途についた・・・3カ月後これが”前菜”にすぎなかったと知ることになる。

             

              十津川村の林鉄廃隧道 04へ続く

 

十津川村の林鉄廃隧道 02

 翌朝、昨日敗退した地点より少し進んだところで斜面に突入する。ちょうど写真の左端のあたりである。

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そして昨日降りることが出来なかった崖の下に到達する。その先は緩やかな坂になっており、すぐに分岐が現れる。まっすぐな道と上に向かう坂道だ。

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この時自分はまっすぐな道を選択した。なぜなら、上の道はすぐにコの字状の大穴がいくつも開いており、道に見えなかったからである。

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           下の道から横を見るとこんな感じ。

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厳密に言うとこんなのが3つ並んでいた。考察はさておきまずは前進する。

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そしてしばらく歩くと道の痕跡は消えてしまう。ここまでだったのか、左下の現道に削られたのかは判断がつかなかった。ここで砂防堰堤もどきが見えた場所から上昇開始。たしかなんとなく登ったような気がする。

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なんと上のほうにはかなり広い道が広がっていた。先ほどの坂道の続きらしいが、ところによっては車が走れそうなほどの広さがあり、軌道跡としては首を傾げざるを得なかった。取りあえず前進してみる。

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コンクリートの橋脚らしきものがある程度の間隔ごとに設置されている。

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                隧道出現!

 

             十津川村の林鉄廃隧道 03に続く

          

 

十津川村の林鉄廃隧道 01

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これはかって奈良県十津川村を走っていた森林鉄道の写真である。十津川村の風屋大橋のそばを起点とし栗平川の奥地を目指していた民間の軌道で、我がバイブルである鉄道旅行地図帳にも載っていないこのネタは同人誌「日本の廃道」様の”三里越え”という峠道の記事でちらりと紹介され、14年8月に行った紀伊半島縦断ツアーの目標のひとつでもあった。なお今回の記事の執筆にあたり、快く許可を頂いた「日本の廃道」様と上の写真を提供して頂いた十津川村歴史民族資料館様にこの場でお礼申し上げます。

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ここは国道168号線の風屋大橋。前方に見える高原隧道の手前で右折すると

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廃校となった小学校とその敷地が広がっている。ここが木を集めた土場だったらしい。その横にある細い道を登っていくと水平の小道にでる。ここが軌道跡だ。

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そしてしばらく歩くと小さな隧道が現れる。その名も”高原隧道”!と、こちらも同じ名前らしい。長さは50mとそこそこあり、反対側に抜けると吊り橋で支流の栗平川を渡っている。最初、冒頭の写真はこの場所を写したものかと思ったが不明である。情報求む。

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川を渡った林鉄は写真の集落を抜け奥地に延びていた。が、今回は記事で見たこの隧道がメインだったためここで撤収。この時点で夕方だったのでとりあえず軌道の終点を見ておくかと引き返す。

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もうすでに薄暗くなり懐中電灯をつけながら終点を目指すがしばらく進んだところで足元が崖状に崩れており、この日は宿である道の駅に撤収することにした。しかし、翌朝残り数十mのはずの探索が意外な展開を見せる!

 

               十津川村の林鉄廃隧道 02へ続く

 

 

 

オフ会に行って来ました

先日の土曜日に”くるまみち”のよととさんのお誘いでオフ会に参加させていただきました。物は岐阜県、多治見電灯の発電所遺構群(+α)です。朝っぱらクライマックスでへとへとになりましたが、夜の飲み会まで堪能させて頂きました。自分は土曜日のみの参加でよととさんと宮川さんとmt.tellさんとご一緒させて頂きました。朝と夜の集合の際ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。でわダイジェスト風に。

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道なき川沿いを延々と歩く

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                 中州の奇岩

 

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崖を越え                  地に潜り

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石垣とアーチと隧道群(閉鎖済)

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移動して小里川ダム付近へ

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取水堰堤                     第三発電所

 

なお土岐JC付近の探索はガチだったのでもし行かれるのなら自己責任で。(途中でこけて突き指と手袋片方紛失しました)