人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

波賀森林鉄道 音水、中音水の4つのインクライン 01

お待たせしました。ネットがつながり久々の更新となります。今回は少し長めになりますがお暇でしたらご覧ください。さて今回のターゲットは兵庫県の北西部、宍粟市に存在していた波賀森林鉄道の音水線と中音水線の4つのインクライン(レールが敷かれた斜面を上側からワイヤーで引っ張って昇り降りする装置)です。簡単に説明しますと上野の貯木場から引原川に沿って”大通り”というべき幹線があり、その途中の支流に”脇道”即ち支線が何本も伸びていました。その中でも初期に音水川に沿って作られた音水線と、その隣の中音水川で最後まで稼働していた中音水線には合計4つのインクラインがあったそうです。時に2015年4月、第2次音水アタックを開始・・・ちなみに第1次は2月に訪問しましたが雪で林道にすら入れませんでしたよコンチクショー。それとこの時点ではネットと書籍の情報から「(第1の)インクラの存在」と「中音水の奥にはいっぱい橋がある」しか知りませんでした。

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ここは音水川をさかのぼり集落の中ほどで左を向いたところ。林鉄は左奥に見える赤い欄干の橋の位置で音水川を渡ってきて、今自分が立っている場所で180度ターンして右の道

に入っていったのだが、当初は川を渡った山肌を真っ直ぐインクラインで高低差200mを登り切り、右、つまり上流方向へ進んでいた。これが音水の軌道。そしてインクラインが廃止された後は川を渡った後左折し、山をぐるりと回り込んで山向こうの中音水川に入っていった。これが中音水の軌道であり現中音水林道である。これが今日のターゲット。

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 林道を48分ぐらい歩くと終点に到達する。THE END。ではなくこの左下に軌道跡が存在する。林道は軌道跡を流用しているが、後半部分でそのラインにはズレが生じている。今後林道を延長することがあっても出来れば軌道跡に影響しなければよいのだが。さてここからが本格的な探索だがインクラがこの記事の主役なので少しギアをあげていこう。

f:id:msx4:20170807222515j:plain橋梁1。鋼製で最初の関門。

          f:id:msx4:20170807222902j:plain                          振り返って橋梁2。 コンクリ製で枕木が残る。1が奥に見える。

 

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橋梁3。鋼製。本流を渡る。枕木の最後の1本。(7カ月後には消えてました・・・)

f:id:msx4:20170807224242j:plain橋梁4跡。コンクリの残骸あり。諸行無常

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振り返って橋梁5。コンクリ製。枕木の最後の1本・・・

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振り返って180度ターン隧道入口。尾鷲に似たような車道がありますな。

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橋梁5,6,7。コンクリ製。このカットはお気に入り。

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       橋梁8&切り通し。ヤバい。かっこいい。

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振り返って橋梁8。結構高い。切り通し内部の地味にレアな4本そろいの犬釘。

f:id:msx4:20170807232153j:plain地面に映る謎の影。     f:id:msx4:20170807232623j:plain f:id:msx4:20170807232542j:plain

橋梁9&旧橋台。倒壊部分を木で補修したハイブリット橋だが木橋の現存は難しかったようだ。ちょっとだけ残っている。

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 この上を昔機関車が走っていたとはイメージし難い。が、よく残っていてくれた。

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振り返って橋梁10跡。木製。さすがに現存していない。実は渡っていた沢のほうが後々脚光を浴びる。主な橋梁はこれでラスト。これからがメインディッシュである。

 

            音水の4つのインクライン 02へ続く

 

十津川村の林鉄廃隧道群(?)07 (完?)

何か黒っぽい丸い影が見えた瞬間ここ十津川で3度目の雄たけびを上げながら突進した。

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まさかの3本目!!!間違いなく人工の穴だ!旧隧道?奥はどうなってる?貫通してるのか?閉塞か?ちくしょうなんでこんな時にメインのライトを忘れちまったのか。(現在サブのライトのみ)f:id:msx4:20170617003940j:plain

 入り口は半ばまで埋もれていて中も土砂が溜まっているようだ。しかもガガンボみたいなでっかい虫がゆらゆらと楽しそうにゆれながらいっぱい飛んでいる。とりあえずちょっとだけ侵入!

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どうやら閉塞しているようだが・・・これは崩れたというより埋め戻している?

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最奥部が見えた!コンクリートの壁だ!ということは第2の隧道のコンクリート巻きの部分に突き当たっているのか。とするとこの穴の正体は? ①旧隧道。後で現在地に作り直した ②現隧道の作業用横坑もしくは空気穴 ③魅惑の洞内分岐だった ④それとも・・・謎は深まるばかりである。

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しかし訪問する度に穴を見つけるっておかしくないだろうか。もう1回行ってみようかしら。それはともかく結局これらの隧道の正体、というよりもこの隧道がある場所の変遷がよく分からないというべきか。最初に林鉄の軌道があり、その後ダム工事のコンベヤ道が作られたのだろうか?それでも矛盾点が浮かび上がるし、この両者がイコールなのかも分からない。自分は踏破専門で考察は苦手なのです申し訳ない。

 

          謎を残しつつも十津川村の林鉄廃隧道とりあえず完 

十津川村の林鉄廃隧道(?)06

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そこは山の斜面を掘り下げて作ったちょっとした広場になっていた。それは少しもおかしくない。おかしいのは地面の高さで隧道の床面との高低差が1mちょっとある。

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坑門の前にコンクリの基礎のようなものがあるから元からこの高さであったことは間違いない。そして20mも歩くと急斜面が川に向かって落ち込んでおり、そこから先に道の跡は見受けられなかった。この先に道は無い。ここが終点で木材を集めていたのならおかしくはないが、もしこの先に道があり行き先があるとすれば・・・

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道筋の直線上には風屋ダムがそびえている。昭和33年本工事が着工されており、林鉄は20年代まで稼働していたという。(wiki及び日本の廃道より)風屋ダムの建設資材を土場のあった場所から2本の隧道を通り、終点から索道(ロープで荷物を吊るす方法)で運んでいたのではないか?つまり林鉄の軌道跡ではなくダム工事の資材運搬用の軌道跡ではないか?そう思った。日本の廃道17年4月号がでるまでは。

明細は省くがやはり林鉄の跡ではないかという推論と証拠が載っていた。ありゃりゃ間違ってたか、でも個人的には見つけたものが林鉄由来のほうが嬉しかったりする。林鉄屋だし。そしてつい先日の5月、天川村探索のついでに2年半ぶりに訪問した。時刻は朝6時。元土場の小学校横に車を止め、探索の準備を進めているとむこうから朝のウォーキングをしている人が歩いてきた。

 

「釣りかい?」  「いえ山歩きです」  「どこの山に登るのかね」   「いえ、この上の(指差しながら)ほうにある軌道跡の隧道を見にきたんですよ」   

 

 

   「ああ、ダム工事のベルトコンベヤの」   「 え 」

 

まさかの衝撃的証言であった。やっぱりダム工事のものだった?恥ずかしながら衝撃で会話の細かい部分を忘れてしまったが”昭和32年”という具体的な年数が出てきたのは覚えている。そして”ベルトコンベヤ”という固有名詞が出てきたことはこの証言の信ぴょう性が極めて高いと思われる。というかダム工事にしても軌道じゃなくて、ベルトコンベヤか!林鉄専門で近代土木のほうに頭が回らなかった結果がこれである。だがこれで幾つかのことが腑に落ちた。軌道用にしては見たことない形の橋脚。隧道内で軌道と違って上を歩く訳にはいかないので中心よりずれた設置場所。何よりあの”木”はコンベヤをおく台だと考えると納得がいく。

f:id:msx4:20170614010952j:plain そして1つめの隧道前に落ちていた電気部品(名前知らない)に描かれた1957(昭和32年)の数字。やはりダム工事か。でもそれだとおかしいというデータも出ている。むむむ?

f:id:msx4:20170614012033j:plain 隧道内のかえるさん、何か知らんかね?

 

f:id:msx4:20170614012320j:plain 考えてもわからないので朝食をとる。

 

f:id:msx4:20170614012946j:plain 2つめの坑門を横から見る。正面から見える部分がそのまま山肌に、というわけではないようだ。

 

f:id:msx4:20170614013751j:plain ふと横を見ると踏み分け道らしきものがある。

 

 

 

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         ・・・ナニカ見エルキガスルンデスガ

 

 

               十津川村の林鉄廃隧道(?)07へ続く

 

 

 

十津川村の林鉄廃隧道(?)05

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まさかの2本目である。何か変だと思いはじめた。何故なら今いるこの場所は蛇行した支流の栗平川によって半島状になっており、国道の高原隧道の坑門から真横に1kmちょい進むとぐるりと回って反対側の出口にぶつかり、2kmも進むと小さいほうの高原隧道、つまり上流に向かう軌道の本線にぶつかってしまうような狭い土地なのである。そんなところに隧道を2本も造るのは採算的にどうかと思った。

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それとこの隧道内部である。床が全面コンクリートで固められ、ボルトのついたコンクリートの土台が等間隔に並んでいる。しかも中心から少し横にずれている。この時までは林鉄の軌道だと確信していたのでこれを見た時は何か特殊な作りの軌道なのかと真剣に悩んでしまった。そしてしばらく進むとソレが現れた。

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木?木のレール!?まさか木製レール?鉄のレールの普及以前にごく一部で使われたというあれか!?といった感じでこの時はだいぶ混乱していた。何せ現物どころか資料さえほとんど見たことがない代物であり、パッと見レールにしか見えなかったから

というのもある。でもだんだん落ち着いてきてよく見てみると

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木製レールなら上に鉄板を張り付けているはずだがそれらしきものが見えない。しかも固定に使われているボルトが上にとび出ている。他にも天井に電気が通っているのに年代的な違和感など疑問点がいろいろと出てきて・・・ええいとりあえず横に置いといて前進してみよう。

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天井はコンクリ巻き、素掘り、コンクリ巻き、素掘り、コンクリ巻きの順で床は一部土砂が堆積していたけれど多分全面コンクリートで施工されている。そして出口は

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                  ん?

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                    え?

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               なんじゃこりゃ?

 

            十津川村の林鉄廃隧道(?)06へ続く

           

 

十津川村の林鉄廃隧道 04

 

前回より3カ月後の2014年11月、2度目の探索のため再び十津川村を訪れた。下の写真は風屋大橋から高原隧道を写したものだが、右の街灯の電球あたりの高さに隧道が通っていたと思われる。現隧道の上に旧隧道というのはよくあるパターンだが、ここに現道とクロスするような隧道があったというのは前情報か偶然でもない限り気付かないだろう。

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f:id:msx4:20170607161027j:plain この川沿いの斜面が今回の目標であるが、前回の探索から一抹の不安を感じていた。はたして道はあるのだろうかと。

f:id:msx4:20170607162624j:plain 前回撤退地点から藪に突入!草はともかく灌木の枝が邪魔でしょうがない。

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すぐに橋脚らしきコンクリート塊”のみ”を発見。やはりこちら側は隧道より前と違って桟橋が主なのか。

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位置も形もバラバラな橋脚(?)ばかりが見つかるが逆に言えばそれだけ。たぶん木製の作業軌道だと思われるが、せめてレールの1本でも見つからないと面白くもなんともない。正面を見ても木々に視界をさえぎられ、上を見ても

 

 

 

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                   は?

 

がさごそがさごそずるっがさごそがさごそ(斜面をはいあがる音)

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       2本目発見!!

 

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 貫通している。しかもけっこう長い!

 

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               ・・・・・何この床?

 

             十津川村の林鉄廃隧道 05へ続く

十津川村の林鉄廃隧道 03

驚いた。終点を探しに来たのに更にその先があったことに。当たり前のことだがトンネルを掘るほうが普通に道を作るより手間も金もかかる。その手間をかける価値もしくは目的があったわけだ。というのは落ち着いてから思ったことで、見つけた時は雄たけびをあげて喜んでいたのが事実である。何せ時前の情報に無く、ネット上に未出の物件である。この業界にいて喜ばないほうがおかしい。(と思う)

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残念ながら閉塞しているのが一目で分かった。というか横を覗くと国道のトンネルの真上だった。トンネル工事の際につぶされてしまったのだろう。残念。

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とりあえず反対側の坑門を探しに行く。右は崖で左はコンクリの斜面だが少し戻ったところで昔の峠道を発見。それを使って高巻きをする。峠は✕字状に道が交差しており、尾根道と峠の向こう側に降りる道、そして都合よく進行方向に進む道があった。

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しかし急角度の坂道を下っていくと灌木と藪の中に道は消えてしまい、反対側の坑門もこちらは完全に潰されたようで確認することが出来なかった。ただ木々の間にコンクリの橋脚らしきものが確認でき、桟橋の道が続いていただろうとは推測することが出来た。といったところでこの時は時間切れで撤退。未知の隧道の発見という戦果に満足しながら帰宅の途についた・・・3カ月後これが”前菜”にすぎなかったと知ることになる。

             

              十津川村の林鉄廃隧道 04へ続く