人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

ぶらりみちのく”はし”めぐり 正解編

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林道の入り口にあった橋台に登ってみる。昔から道があったのか、それとも谷があったのか・・・。横から見ると下半分は緑に覆われていた。

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上は先ほどと同じく草まみれ。

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少し歩くと谷があった。こちらは2つとも橋台がのこっている。

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 橋台のみだがどれも綺麗に残っている。

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更に進むと浅い掘割状になっていった。それはよかったのだが、おかしなものが現れた。

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パッと見て最初は横から岩かコンクリが落ちたのかと思ったが、よく見るとちゃんと側面に固定されている。だがこれでは軌道が通るにはあまりにも狭すぎる。それにどう見てもこれは・・・・

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掘割は更に深くなり下のほうだけコンクリート巻きになっている。これはもしかして・・・

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     水路じゃねーか!

1杯食わされた。尾鷲の山あいで近くに古和谷の軌道が通っていたからてっきりこれも軌道跡だと思い込んだ。だいたい最初のほうは掘割にもなっていないじゃないか。

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 この雰囲気は多分発電所関係だと思われる。導水管の跡に沿って下に降りると先ほど止めた車の横に出た。軌道跡でないのは残念だったが現役当時のこれらの水道橋はどんな姿をしていたのだろう。

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又口川に沿って下り尾鷲市街を目指す。こちらは正真正銘の軌道跡(のはず)だ。明日は

この道の途中で分岐している白倉林道の奥をめざす。

     

                      川遊び編に続く

       

ぶらりみちのく”はし”めぐり 勘違い編

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やってきました三重県尾鷲。

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あれに見えるはクチスボダム。

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ダム横にあるのは管理事務所と・・・Trapezoid=台形

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橋台だ。

はいそこ橋じゃねーじゃんと言わないように。

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反対側には橋台はなかったが平場が見える。ただ、すぐ先で建物(?)に山肌ごと削られてしまっているようだ。ここはネットで記事を見て1目見たいと思った場所だ。まさかこんなところに軌道跡があったなんて。

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橋台のあるほう ー 坂を少し下った場所に林道の入り口があったので、これを利用して橋台の上へ登ってみる。

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しかしこの林道のせいで軌道跡が削r・・・・おわかりいただけただろうか。木々の間に見える巨大な橋台が。きょだいなきょーだいが!

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濡れた草をかきわけ路盤と橋台を堪能する。次はさっき見つけた橋台の先に行こう。

 

                    次回 正解編へ続く

ぶらりみちのく”はし”めぐり ねじって沈む編

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時は先週の17日。ここは三重県。そしてこれは

JR紀勢本線 濁川橋りょう

でもこれを見に来た訳じゃない。この写真から右へ100度転回する。

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この道を前進する。間違っても ” 左 ”ではない。” まっすぐ ”である。根っこごと倒れている倒木や藪を抜けて前進する。この道は雨天に通るべきではない。

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 工場の砂利、というか石置き場を横目に進むと右手にあった川を橋で渡る。小さくさりげない感じの橋だが欄干を見るとおやっとなる。レンガが使われているのだ。資材置き場になっている上流側から回り込んで川に降りる。

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レンガアーチだ。ただのレンガアーチではない。これが超絶有名物件

    ねじりまんぽ である。

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これからもひっそりと、しっかりと生き続けて欲しいものである。そしてくどいようだが雨の日に来るもんじゃない。

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ねじりまんぽを見るため紀勢自動車道の勢和多気ICで降りたが、その直前に橋を渡った時にちらりと橋が見えた。よし、行こう。ねじりまんぽを見たあとカーナビを頼りにさまよい、結局、高速の橋の下に車を止めて歩き出した。

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沈下橋だ。増水時に沈むことを前提としたコンクリート製の橋で、せいぜいバイクが通れるぐらいの広さでしかない。

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この川は櫛田川というらしいが大きさの割にとてもきれいな川だった。後で調べたら他にも沈下橋があるらしいので晴れた日にもう1度来たいものだ。

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近くのコンビニで小腹を満たし1路尾鷲をめざす。

 

  参考サイト 北畑都市設計様            次回勘違い編へ続く

ぶらりみちのく”はし”めぐり 三重編

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ねじって

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沈んで

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勘違いして

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「すいませんチーズカレーの肉まんください」とじゃぱりまんを頼んだり。

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 鹿のフレンズに遭遇したり

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びふぉーあふたーしたり

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今回はぶらぶらと彷徨ってきただけですのでネタ度はひくいです。

 

                            次回に続く

森町の明治未成隧道探索 其の参(完)

道のすぐ横に見えた谷間は掘割のように見えた。そして気になるあそこは・・・

 

 

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残念ながら谷間の最奥部に穴は無かった。とにかく下のほうから回り込んでみる。

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 こちら側の山肌は全体的になだらかな斜面が広がっているが、ここだけ地形的に不自然な谷が稜線に向かって延びている。多分間違いない、これが明治未成隧道の跡だと思われる。掘割だけ掘って力尽きたのか、それとも多少は隧道を掘り進めたのか、地面を見ても判断はつかなかった。

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上の2枚は6年ぶりに訪れた現場の写真。変化はない。

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掘割の奥より。このまま外に出て少し進むと古道と合流する。実際、古道からこの峠の下を隧道で抜けるとすると場所的に合っている。

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そして何故か反対側に回らずに山を降りる6年前の自分。楽しみは後にとっておこうとしたのか?。解せぬ。抉れたような古道自体は割としっかり残っていたが、倒木や竹のせいでろくに歩けなかったことを明記しておく。

f:id:msx4:20180114224346j:plain再度尾根の上に立つ。このあたりが掘割の延長線上でお地蔵さまの裏手にあたる。

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そして向天方側を見下ろすとこちらは天然の谷が尾根のすぐ下まで延びている。さっそく谷底へ降りてみた。

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こちら側にも穴は無かった。残念ながら遺構といえるものは反対側の掘割のみのようだ。もし両側から掘り進めたのならこちら側は穴を掘っていると思うのだが。そもそもなんで中止になったのかが分からない。資金難のせいかそれとも地質的な問題か。真相は歴史の闇の中である。・・・・写真の暗闇はたまたまそれっぽく写っただけですのであしからず。

 

           森町の明治未成隧道探索 (完)

              

森町の明治未成隧道探索 其の弐

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ここは森町を流れる太田川に架かる天森橋の上。少し離れた駐車場に車を置き、徒歩で目的地を目指す。関係ないがこの森町、昔は馬車鉄道を前身とする秋葉線という電車が。最近では新東名のICが出来て何気に交通の便が良いと思う。”遠州の小京都”は伊達ではない。そう、ここも遠州。隧道特異点(今考えました)たる遠州地方に属している。(暴走半島や隧道都市竹田ほどじゃないですが)はてさて?

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小川沿いに並ぶ民家や工場を過ぎると、道は未舗装の林道になった。

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そして林道と、予想地点へ向かう破線道との分岐点に来たが何か様子が・・・

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地図だと沢沿いに登っていく徒歩道のはずだがブルドーザーの作業道になってる!?

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更にこれ。1月でも突破は無理。

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高巻きしてなんとか突破すると砂防ダムが見えた。これの作業道か。しかしこれを越えても道らしきものは見えない。1番ましな道は流れに沿って歩くことだったが・・・

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草木や倒木にうんざりしながら黙々と歩く。

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そのうち道のような平場も現れるが、ぶつ切り状態のため少し沢から離れ斜面を登ってみる。

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ずんずん登って開けたところまで出てみると、そこは茶畑の端っこだった。

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そして茶畑の1段下に道が。これは古道か?時々狭まったりしたが歩きやすいしっかりした道が続いている。

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峠だ!お地蔵さまと不動明王の石像がいらっしゃる。もし痕跡があるとすればこの近くだと思うのだが・・・取りあえず峠の向こうへ降りてみる。

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いかにも古道らしい窪んだ道がつづら折りで下っていく。そして2本目の曲がり角で横を見ると

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・・・これは!?・・・掘割・・か?

 

              森町の明治未成隧道探索 其の参へ続く

 

森町の明治未成隧道探索 其の壱

昔々とまではいかないが2012年1月、ネットを検索していると1つの文章を見つけた。それは静岡県周智郡森町の明治時代の様子を紹介した「森町変遷雑記」という本の1節で、向天方という場所について言及していた。その部分の原文を抜粋してみよう。

 

・・・道巾広からぬも、古くより原の谷方面の要路にして又村の幹道たり。道は東して原田村、西の谷に道ず。明治廿年頃墜道を穿ち、榛原郡金谷へ開通すべく、鈴木才吉氏多くの土工と「トンネル」開鑿に着手せるも中止す。原の谷行路はトノ谷沢を越え大高山山脈の中腹を越ゆる難路なり。

 

これはつまり、明治時代の未成隧道の話だった。次に思ったことは”何か残っていないだろうか?”である。明治廿年(20年)即ち1877年といえば2012年度から125年も前だ。しかも未成である。痕跡が残っている可能性は低いだろう。だがそれは現地へ行ってみないと分からない。もしかしてもしかすると”何か”が残っているかもしれない。ならば次は場所の特定だ。地理院の地図を見ると向天方の地名が載っており、そこから川沿いに道が東に延びている。川は南北に延びる峰に沿って北に向きを変えるが、1本の破線道がそのまま東に向かい鞍部を越え、西の谷川に通じている。細かい固有名詞の場所は分からなかったが、沢を越え山脈の中腹を越ゆる難路という言い回しからここではないかと推測した。そして念のために森町の町立図書館に足を運んでみたがこちらは空振りに終わってしまった。ただ新しい発見はなかったものの、森町変遷雑記の原本を見つけることが出来た。あとは自分の目で確かめるだけだ。1月下旬のよく晴れた日に探索を実行した。

 

                森町の明治未成隧道探索 其の弐へ続く