人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

坂ノ谷森林鉄道 其の3

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軌道跡はこのように沢沿いの山側に向かって曲がっていたと思われる。なぜなら

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極1部ではあるが曲線を描く石垣が残っているのだ。そして

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180度ターンして沢を渡っていた。つまり、つづら折りで高度を稼いでいたのだ。

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沢を渡ると右に曲がり

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またもや180度ターンして切り通しを抜けて

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3たび沢を越え

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林道の方へと山肌を登っていく。

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が、林道を見下ろすところで軌道跡は消えていた。林道工事の際に削られてしまったようだ。

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 しばらく林道から上を見ながら歩くと枯れ沢(?)があり

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写真は起点方向を向いているが、ここから軌道跡は復活している。そしてわずかだが石垣も残っている。

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ここから林道に平行して軌道跡は進んでいく。

 

 

             坂ノ谷森林鉄道 其の4へ続く

坂ノ谷森林鉄道 其の2

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橋(の跡)だ!軌道はここで本流を渡っていた。橋台と築堤がとてもきれいに残っている。

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下流方向から。

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対岸から。

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そして今度は左岸に沿って進んでいくが、林道の対岸という人が入りにくい立地のせいか枕木が少し残っている。

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森に還りつつある枕木と犬釘

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100mも行かないうちに右岸に戻り

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今進んできた下流方向に向けて坂を上り始める。

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最初に渡った橋跡を下方に見下ろしながら(ここは3枚目の写真の上部だ)右折して進むと

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林道が切り通しになっている場所に出てきた。このあたりは林道を造る際に林鉄時代よりもだいぶ掘り下げたようだが、ここからまた林道が軌道跡だと思われる。

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 しばらく進むと橋がある。 

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 林鉄は昭和35年で廃止されたそうである。だが注目すべきはこの橋ではなく

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橋の横である。

 

             坂ノ谷森林鉄道 其の3へ続く

坂ノ谷森林鉄道 其の1

今回のレポートですが、実は1回目に踏破したときの撮影データを間違って消してしまったため2回目の探索時の写真で紹介します。そのため本来は発見した順番で紹介するつもりでしたが、わかりやすく起点から順に紹介していきたいと思います。

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兵庫県鳥取県の県境に位置する戸倉峠から兵庫側に少し下ると写真の光景が目に飛び込んでくる。やまめ茶屋の看板が立つこの空き地こそが坂ノ谷森林鉄道の貯木場である。と言いたいところだが資料無しの実地調査のみなので正確なところは分からない。

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この道が軌道跡である。

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 少し進むと支線との分岐がある。草が茂っていて分かりずらいが写真の右下に橋台が残っている。そして対岸を見ると

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橋台が木々の間に見える、が、当時の軌道の線形がいまいち分からない。支線は支流に沿った林道が軌道跡らしく、急坂になったところで林道を外れてしばらく進んだ平地が終点だと思われる。1回目に探索したが2回目はパスしたので写真はない。あしからず。

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やまめ茶屋の隣を抜け上流へ向かう林道が軌道跡である。

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そのうち写真のような広場が現れる。以前先行偵察したときには重機が止まっていた。

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高度を上げていく林道を横目に広場の奥へ進んでいくと

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浅い掘割が姿を現した。軌道跡だ。

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軌道跡は川沿いに進んでいく。

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そして現れたのは・・・

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             坂ノ谷森林鉄道 其の2へ続く

次回予告

仕事がひと段落ついたため活動再開。

以前記事にした音水、中音水支線を含む波賀森林鉄道。

そこから更に北に進むと兵庫県鳥取県の県境に戸倉峠がある。

戸倉峠には新、旧のトンネルがあるがその更に上には

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未成隧道がある。というのは一般的な常識だが、兵庫側の峠の手前にもう一つ森林鉄道があることはあまり知られていない。それがこれだ。

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     ”坂の谷森林鉄道” マイナーで小粒だがおすすめの一品である。

富士林用軌道 吉田胎内樹型付近 後編

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軌道跡は小さな石垣の土盛りと

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荒々しい切り通しを抜けて真っ直ぐに延びている。

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胎内神社に近づいたところで緩やかに右にカーブを描き

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行きに渡った枯れ川に沿ってしばらく進む。

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しばらく進むと軌道跡は途切れてしまうが、足元と対岸に橋台が残っていた。橋(たぶん木橋)自体は残っていないが貴重な遺構である。

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おそらくこんな感じ。

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 川を渡りしばらく進むと道と交差していた。なぜか道に出るところに枯れ枝が積んであったが一応道を塞いでいるつもりなんだろうか?

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道を越えると倒木だらけの掘割になり

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 先ほどの川の支流に出ると今度は坂道で河原に降りて地面に飲み込まれていた。橋があったかは分からない。

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対岸には土手を斜めに削った掘割が左・・・下流方向に延びていた。

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軌道跡はこの後川沿いに進んでいたようだ。が、一番最初に迷った原野に突入したあたりで完全に軌道跡をロスト。遺構が何もないほぼ真っ平な原っぱではどうしようもない。

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それでも地図と地形を見ながら彷徨うこと10数分でなんとか軌道の続きを見つけることが出来た。このあたりから軌道跡の土盛りが明瞭になっていたおかげである。

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テープの目印があったので一応は道として使用されているのか?この道もほぼ真っ直ぐに伸びており、やがて車道にぶつかった。富士北麓公園の南の道だ。

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写真は車道から出てきた軌道跡を振り返ったところ。こちら側から見ても藪のせいで気づくのは難しいだろう。

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車道の反対側を見ると一見何もなさそうに見えるが・・・

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 藪に踏み込んでみると軌道跡の掘割が姿を現した。

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 掘割を抜けると平地になったがこれまでの経験から曲がらないように真っ直ぐ進む。

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軌道は地図にあった林道に合流する。ここからの林道は軌道跡を転用したものだろう。

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振り返ってみて。黄線が軌道跡。廃道部分はここまでのようなのでこれで撤収。川沿いの林鉄と違って地味だが意外と楽しめた物件でした。

 

            富士林用軌道 吉田胎内樹型付近 (完)

富士林用軌道 吉田胎内樹型付近 前編

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17年11月。ここは山梨県の富士北麓公園の南にある交差点。この近くに吉田胎内樹型という天然記念物があり、そのそばに富士林用軌道(名称は日本鉄道旅行地図帳より)の軌道跡が残っているらしい。ただ地理院地図で見ると車での最短アクセスポイントが富士スバルラインの料金所横という微妙な地点だったので、反対側のこちらから徒歩でめざすことにする。

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地図によると林道の途中で道があるはずだが・・・原野しか見当たらない。2枚目の写真に写っているわずかな窪みがまさか道の跡かと半信半疑で突っ込むが、すぐにそれさえも見失い原野を彷徨うことに。ただ、西に少し歩けば川があるのでそこまで行けば川沿いに目的地付近まで近づけるはずだ。

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なんとか川に出たと思ったら支流で、それを乗り越え本流にたどり着きようやく道案内の看板を発見した。やはりというか自分が歩いたルートとは全然違う道があるようだった。当たり前だが。

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注連縄がかかった場所が吉田胎内樹型。噴火の際、木が鋳型となって造られた溶岩の洞窟である。内部は未公開。私はこの後写真の右のほうに軌道跡を探しに行くが・・・正解は左のほう。ところどころに小型の樹型の穴があいた林の中を25分程彷徨うことになる。

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最終的に富士スバルラインを横目に林の中をてくてく歩く。小道が現れた。軌道跡だ。

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軌道跡はスバルラインに切り取られているが軌道自体はまだ先に続いている。

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反対側、下り方向を見ると軌道跡は緩やかに右に曲がり

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真っ直ぐだ。一直線に軌道跡が延びている。地形に沿って進む森林鉄道のなかではあまりお目にかからない光景だ。

         富士林用軌道 吉田胎内樹型付近 後編に続く

    

                     参考サイト「埼玉発おとなの小探検」様

紀伊半島の森林鉄道・林用軌道群② 南古谷川林用軌道(仮)その5(完)

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前回少しだけ歩いた軌道跡を今度は林道から眺めながら歩いていく。

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しばらく歩くと川はだんだん浅く狭くなってきた。

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 橋台を見つけた、が、この辺から軌道がどちらを通っていたのか分からない場所が増え始める。崩れているのか、桟橋で越えていたのか、林道側に渡っていたのかだんだん分からなくなってしまった。

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とりあえず橋台らしき石垣があったところで対岸に渡るが、分かりやすかった七滝のあたりと比べて軌道が通っていたと断言することが出来なかった。

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そのうち大きな橋台が現れた。幅からして軌道のものではなく、後年に作られた車用の橋だと思われる。

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また林道に復帰し上流を目指す。

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川幅はいよいよ狭まってくるが、所々深い谷間を形成していた。このあたりは軌道は林道側を通っていたと思われる。

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そして林道が大きく右に曲がり砂防ダムが連続で現れる。地図によると軌道はこのあたりまで延びていたようだが?しかし林道の先のほうで何か作業をしているのが見えた。この辺が潮時かと未練がましく砂防ダムの上流の浅くなった河原を眺めると・・・

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なぜかレールがごろごろと転がっている。ここに流れてきたのなら更に上流のほうには?と思ったが作業中なのでとお断りされてしまった。まあキリが良いのでここで終了。軽く上流のことを聞いたが特に遺構もなさそうだったし。

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下流側や最上流部は次の課題として撤収。いつになるやら(笑)

 

   紀伊半島の森林鉄道・林用軌道群② 南古谷川林用軌道(仮)(完)