「なぜここが怪しいと思ったかって? 何となく、さ」 などという会話が頭の中であったかどうかはともかく(笑)ちょっと注意して観察してみた。
分岐路に入ると道は20mたらずで終わっていた。藪が深くてよく分からない。
と思ったら180度ターンして道は続いていた。ありゃ?単なる作業道の入り口だったのか。
そこであきらめずに林道に戻って下から眺めてみる。
1話ででた切通しのすぐ手前だ。
ほんのわずかだが平場の跡が見えた。軌道跡の痕跡に見えるような見えないような。分岐路が軌道跡、もしくは路盤を削って現林道が造られたという2つの可能性がある。
平場の高さが続くとするとこれぐらい。もしその高さに軌道があったなら切通しもだいぶ小さいものだったはずだ。
これぐらいの高さを通っていたことになるのだが。
上を見ると途切れ途切れに平場があるようなないような。
現状では空き地が土場の可能性が高いため、軌道が林道に合流するのなら空き地から一つ目の沢を降りて来るしかないと予想したが・・・いまいち軌道跡と断言することができなかった。
こんな感じで軌道が通っていた?長距離を探索したあとの疲れた頭ではこう思いつくのが精一杯だった。
2週間後。再訪。急転直下。
これは奥地の九蔵本谷の略図。茶色は林道。
国有林森林鉄道全データではこのように軌道は林道に転用されたように路線図が描かれていたが・・・
自分が橋脚の写真をUPしたあとにTwitterに上げられた古地図を見て驚いた。それによるとまず現林道のように川を渡っていない。いや、もっと奥地で川を渡っているのだ。そしてそのまま高度を200m以上上がってそこで終わっている。なんだそれは。今まで信じていた情報と比べてツッコミどころが多すぎる。さらに明確な場所は不明だが上部軌道の存在を示唆したツイートも。皆さんしっかりと情報を持っていらっしゃる。乏しい資料で現地調査メインの自分とは大違いである。しかしどうしよう?いや、決まっている。確認あるのみだ。まずは1番気になった最奥部に行ってみることにした。一気に斜面を登る軌道の表示、インクラインか索道があったのか。
よし出発だ・・・おや
目と目が合う~
という訳でかもしかのK氏(仮名)に導かれて歩き出した。このあとすぐに離脱されたが(笑)
九蔵本谷を渡る橋まで来た時、がまんできずにちょっとだけ覗いてみることにした。橋脚があるのに川を渡らないルートなんてほんとにあったのか?
林道から外れて2,3mぐらい上の斜面に平場が見える。まじですか?
平場、いや道の跡が延びている。だが、軌道跡には少し狭いような?しばらく先で熊笹の藪に呑まれていた。後ろ髪を引かれながらもきっぱりとあきらめる。ここは今後の課題だ。
九蔵本谷の右岸を進む。対岸とこちら側のどちらに軌道があったのか。
古地図は現在の地理院地図と比べると微妙に大雑把なので悩んだが、どうやらこの谷に沿って高度を上げていたらしいと予想して ― インクラインか索道か分からないが ― 登ってみることにした。
とりあえず撮った堰堤の銘板。久々野営林署の名が見える。昭和40年なので無論軌道よりも後だが問題は名称だ。「売店サコ第1号谷止」。売店サコ?サコで当てはまりそうな意味を調べると、山の尾根と尾根の間。小さい谷。あたりが妥当と思えた。(goo国語辞書)つまりは売店の谷?九蔵地区から4,5km離れた山の中に売店?ある林鉄では人夫のために山中に売店があったというが・・・?
ともかく谷を遡行していく。2つめの堰堤。
・・3つ目の堰堤。
・・・4つ目の堰堤。
・・・・5つ目の堰堤。の横の崖を登ろうとして、ふと途中で下を見て、ああ、帰りにここを降りなきゃいけないのかと考えて心が折れた。ひさしぶりの要登山物件に対する気力が足りなかったというべきか。ちなみにこの時点で目標高度までまだ半分だったという事実もあり、ここで撤退を決めた。
撤退を決めて谷を降り、林道を戻っていく。探索は成功ばかりではない。
駐車した空き地まであと少し、空き地から一つ目の沢まで戻ってきてふとそれが目に入った。
石 垣 が あ る !? 軌 道 跡 !?
下がっていたテンションが最高になった(笑)やはりあの分岐路から林道の上を軌道跡が通っていたのだ。1つ目の沢で無理やり林道の高さまで下がるよりもよほど自然な流れだったが、草葉が繁っている時期にこれを目視で確認するのは難しい。よく気づけたな自分(笑)しかし、そうすると・・・空き地ではない?
起 点 の 土 場 は ど こ だ ?
青屋森林鉄道 4 へ続く
参考文献・資料 国有林森林鉄道全データ中部編
Twitter 丘の子様のツイート