上流側の坑門から外に出るには土砂の山を登らなければいけなかったが、通り抜けるのに支障はなかった。今のところはだが。さて外はどうなっているのか。
こちら側は隧道ではよく見る深い掘割になっていた。
これが上流側の坑門だ。
だが、少し離れると坑口は隠れてしまう。周りの土砂が掘割に流れ込んで積もっているからだ。この地形ではしょうがないか。
掘割を抜けた広場に小屋(の残骸)があるのが見える。
と、その前に掘割を振り返ってみる。前もった知識か、ある程度の経験でもなければ隧道が存在すると気付かないだろう。
もう少しさがってみると隣が谷になっているのに気が付いた。下流側と違い、こちらは水が流れそうだから横に避けたのか?
さてお待ちかねの小屋の中は・・・といっても外から半ば丸見えでろくな遺物はなさそうだ。外壁面にパイプの骨組みという時点でそこまで古くなさそうな感じがしたが。
天井も半分ぐらいトタンがとれている。
数少ない遺物に大阪営林局の安全の啓蒙のポスターが。まぁこんな場所にあるのだから林業用には違いない。
その横は谷になっており、地図の通り川が流れていた。この川沿いに木馬道が作られた訳だが、長大な隧道を掘らなければならなかったのはやはり地形のせいだろうか?この川沿いの様子も見てくりゃよかった。
さて、木馬道のほうは小屋の横を抜けて川沿いに上流へと伸びていたが、数十mほどで大きな沢にぶつかってしまった。
これは沢の向こうを写したものだが、多分木橋で向こう岸に見える道の続きに渡っていたのだろう。今回はあくまで隧道がメインなのでここで撤退を決めた。
しかしここに小屋があるということは木馬道として使われなくなった後も隧道は林業の作業道として近年まで使われていたのだろうか?
半世紀近く交通用ではなく純粋に林業に使われ続けた隧道・・・
という妄想も悪くない。実際どうだったんだろう?
しかしトリ氏が探索した2017年以降になって林道が造られたということは、あの小屋を造る資材も木馬道で運んだということか。他のルートは無さそうに見えたが・・・やはりもう1回行きたくなってきた(笑)
最後にもう一度隧道を目に焼き付ける。
帰りは林道を通ってあっという間だった。そして、この後寂地峡に向かい今回の目標を達成したのだった。しかし、ここ島根に広島、徳島に奈良と訪問した分だけでもかなりばらけているのでこの木馬道隧道というジャンルを追うのはかなりやりがいがありそうだ。また地道に情報を集めていくとしよう。
岩国と雲南の木馬道隧道 完
岩国市公式観光webサイト 岩国 旅の架け橋