人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

宣旨帰り 1

ここは三重県熊野川、対岸は和歌山県だ。以前、この熊野川の左岸に古道の難所が現存しているとネットの観光案内で見てから一度行ってみたいと思っていた。しかし、いくつかのサイトには平成23年の水害により通行不能とも書かれている。現状はどうなっているのかよく分からなかったので現物を見て確かめようとつい先日の2022年9月に紀伊へ突貫した。その難所の名は宣旨帰りという。

飛雪ノ滝のキャンプ場(見ての通りロケーションが抜群)の横に車を停めさせてもらう。まだ目的地まで3km弱ぐらいあるが、ここからは歩いて行くことにする。

というのもこの先は道幅が狭くなるとキャンプ場の人に聞いたからで、それならば対向車を気にしないですむ徒歩を選択したのだ。

準備を整えて歩き始めるが、聞いた通りすれ違いも難しそうな細い道が延びている。これが川端(川丈)街道と呼ばれる古道・・・をなぞるように造られた県道740号線な訳だが、何カ所か切り通しの外側に古道らしき踏み跡を見ることが出来た。あと、徒歩はさすがに暑かった(笑)汗を流しながら無心に歩く。

少しひらけた山側を見上げると、雨が降ったら水が流れるであろう浅い谷間が上の方までコンクリートでガチガチに固められているのが見えた。ネットは張られているが大雨が降ったらえらいことになりそうだ。

と、道の傍らに看板が見えた。骨島?観光案内で見たやつだ。ちょっと寄り道しよう。

厳つい、しかし滑らかな巨岩の塊が見える。横から見ると背骨のようにも見えるこれが骨島(骨嶋)だ。

一瞬テトラポットが沈んでるかと思ったが、これも岩の一つだった。

なんでも退治された鬼の骨だとか。

対岸にもごつい岩壁が見える。(釣鐘石というらしい)

何か余計に汗をかいたがとにかく先に進む。

お仕事中らしきおばちゃんにどこいくの?と声を掛けられたり。

切り通しというにはごつい岩の柱に驚いたり。

比丘尼転び。難所を高巻きで越えていた場所だが、説明文を読むと尼さんが難所の手前で一息ついたら気が緩んでそのままぽっくりいってしまったらしい。言っちゃ悪いがなんか思ってたのと違った。

フェンスのドアが一応出入り口らしい。暑さにばてていたのでここはパス。

現道が出来る前はこの上を通るしかなかったのか。

橋を渡る。これ自体は普通の橋だったが

右手の上流側に立ち枯れて切断された(?)木が無数に立っていた。なんだろう?

対岸にはロックシェードと、見えないがトンネルが。両岸とも昔からの難所だったようだ。

ようやく看板が見えた。入口に到着だ。

宣旨帰りの説明板があった。名前の由来は通説によれば天皇の使者が川の増水で通行出来ず、やもなく引き返したためらしい。どうせ通れないなら高巻きして新ルートを開拓するぐらいの根性はなかったのか。それと案内板の階段マークと降の一文字。最初は意味が分からなかったぞ。

この岩が入り口。

その先は急な石段で河原に向かって降りていってる。しかし通行不能とかの看板は見当たらない。今現在は通れるということだろうか?はてさて?

 

      宣旨帰り 2 へ続く

 

越中中街道 割石橋付近 3 (完)

このあたりの地面は苔むしているため、いかにも古道という雰囲気がする。

看板がある。

巡視路の標識。形を変えながらこの古街道が現役である証拠だ。

大きな沢に出た。ここには鉄橋が架かっている。

先程の沢と違って水の流れがある。

橋の向こうに街道は続いているがここでお別れして

草が凄いがどうやら沢沿いに降りられそうだ。

最初は少し不安だったがやはりここは道のようだ。

国道が見えてきた。

脱出。普段は気にも留めない場所だが、この上に街道があったとは思わなかった。

割石橋の南に位置する吉ヶ原橋から北を望む。一見道など無いように見えるこの左側の川岸を歩いてきたのだが、しかし、この後ネットで調べると上のようなラインのバイパス工事が進行中だと出てきた。

さっき通ってきた越中中街道を横切ってトンネルで神岡町の市街地の手前まで抜けるバイパスを造るらしい。まあ年次予算でちょっとずつ造るだろうから完成はいつになるか分からないが、人知れず残る街道もいつまでもそのままではないということだ。

割石橋まで戻って来た。ちなみに古地図によると、この岩壁の上を通り今回歩いた場所の途中で合流する道が描かれているが全然気づかなかった。

さて、せっかくなので久方ぶりに高崖みちを見に行こう。

集落を出てすぐに崖が見えた。

導水管を越える。これ、山向こうの切雲谷から水を引いて来ているのだ。

崩落して狭まっている場所もある。地味に歩きにくいが整備はしないのか。

出た!、この先転落注意。

近づいてきた。

到着。写真だと分かりにくいが、この辺から岩壁にワイヤーが張ってある。

ここで引き返そうかと思ったが、せっかくなので傾斜した曲がり角を越えていく。(ここは地味に怖い)

下を覗きこむとなんだか下半身が涼しい。

やはりこの下に道を通すのは無理がある。

だとしても本当によくこの崖の中腹に道を通したものだ。

5年ぶりの片洞門。

E・〇 ごっこ (笑)

さて、満足したので帰りますか。

     
     越中中街道 割石橋付近 3 (完)

 

 

 

 

    次回予告  

             観光名所を歩く

 

 

 

越中中街道 割石橋付近 2

 

蒸し暑い空気の中、カメラとスマホのみを持って歩き始める。

初めて見た下からの割石橋。

目印らしきテープの下には石仏と・・・花!?こんなところにお供えもの? (後で写真を確認したら造花のようだ)

危惧したよりもしっかりと踏み固められ、地面が露出している。

沢だ。土石が小山のように道を遮っており、その中を水が流れている。

そこそこ水量があるが浅く広がっているので渡るのは簡単だった。昔からこんな感じなのだろうか。

石垣発見。このあたりは古そうだ。

現在はどれぐらいの人が使っているのだろうか?踏み跡ははっきりしている。

道は綺麗だが両脇の細い杉がなんか物悲しい。

この辺はさりげなく築堤になっている。

地図に載っている大きな沢まで来た。

道は沢沿いに上流へと向かっている。

狭まったところで普通の道で越えている。草のせいで水が見えないが、地下を流れているのか、それとも洗い越し?

谷を下って本流沿いのコースに戻る。

しかしいきなり90度曲がって山側に進み始める。

どうやら鉄塔に向かっているようだ。

高崖のみちと同じように巡視路として使われている訳だ。

鉄塔の下を抜けて道は続いている。

開けた場所のせいか夏草がすごい。

植林地にぶつかると川の方へ降りていく。

工事現場に突き当たり、また90度曲がって川沿いの向きになった。

ご覧の通りここは大きな谷間になっており、ここを迂回するために山側を回っていたのだ。

しかし重機が出ていることといい砂っぽい崩れやすそうな地質といい昔の道筋は今通った道と一緒なのかふと疑問に思った。山側に迂回するときと川沿いに戻って来たときの直角のカーブがなんとなく街道っぽくない感じがした。

ランドマークとして申し分無さそうな大岩が気になりつつも、国道に降りるルートも探さなければいけない・・・・・あるよね?

 

 

        越中中街道 割石橋付近 3 へ続く

越中中街道 割石橋付近 1

 ここは岐阜県飛騨市神岡町の割石。廃道サイトの山さ行がねがで紹介されて有名になった割石の髙崖という断崖古道がある場所で、私もその旧道についてのレポート

を以前掲載している。写真の風景は割石橋上から北を向いたもので、橋を渡ると割石の集落があり、その先に割石の髙崖が存在するという位置関係だ。ここを通るたびに気になっていたのは写真に写る岩壁が集落の南にそそり立っていることだ。髙崖から続く越中中街道は集落を通って現国道に合流しているが、その南にはこの岩壁が聳えているのだ。街道が通っているはずだが道はどこだ?

道が緑に隠れているとすると、 国道の高さから急坂を降りるか、もしくは登るのか。それとも

 まさか大岩壁を桟橋で正面突破!?。(どこの森林鉄道だ)

 などと楽しい妄想をしながら割石橋のたもとへ

 あっさりと下に降りる小道があった。

 車で通り過ぎるだけでは気づかない道だ。

 一部に木の階段を埋め込んで折り返しながら降っていく。

 つまり正解は下でした。越中中街道だ。

振り向くと急坂が目に入るが、 割石橋と国道によってこのあたりの本来の街道は潰されているのは間違いない。多分もう少し緩やかな傾斜の坂道が延びていたと思われる。

直近の雨の影響かやや黒ずんだ濁流が流れる高原川。

眼の前にそびえ立つ岩壁が現れた。例の岩壁だ。

道はその真下のわずかな土の部分を通っている。

ここは岩壁の下を通れたが、河原まで絶壁が続くため中腹を通らざるを得なかったのが割石の高崖なのだろう。

さて、疑問は解消したが足は止まらなかった。現在の地図には載っていない道が目の前に延びているからだ。

普通のスニーカーで来たため夏草が茂った場所では地面が見えずおっかなびっくり進む。

おおっ

片洞門ばりに突き出た岩と荒く積まれた石垣だ。

とりあえず遥か前方に見える橋を目指すとしよう。

 

      越中中街道 割石橋付近 2 へ続く

手彫りのトンネル その3 木馬道隧道 丹生谷の吊り橋50選より

最後の1つは以前よりネットでその存在を知っており、他の2つの前に探索済みであるそれは木馬道の隧道だ。写真は長安口貯水池のほとり。

この左手の山の稜線に木馬道の隧道があるわけだが、本来の道筋を下った場所が私有地というか人家があるので別の場所からアプローチを行う。

少し離れた谷を登ることにする。

なんとか木馬道らしき道に合流するが

途中で道は消えてしまった。

道の続きを探して斜面を彷徨い歩く。

む、あれは

小さいが石垣を備えた道。木馬道に違いない。

道幅や傾斜からみてほぼ間違いないだろう。

この日はあいにくの天気で強い雨こそ降っていなかったが、山中には白いガスが漂って視界をぼんやりと遮っていた。

幸い、再発見した木馬道は崩落もなくきれいに残っている。

土砂の堆積か流出か多少路盤の傾斜がきつくなってきた。

尾根が近づいてきた頃、道は前方で消えているのが見えた。つまり・・

隧道に到着した。

長さはそんなに長くない。20mぐらいか?(適当)

中に入って振り返り。こちらの入り口は斜面の中腹で急カーブしているので、勢いつけると崖下へ1直線だ。

長くない坑内を抜けて

反対側の坑門だ。

左に木馬道は続いている。上から見るとUの字にカーブしているのだ。

少し離れて見ると坑門のシルエットはきれいな半円形をしている。なんてことはないが気付いた時は不思議だった。

雨が少し強くなったのでしばし隧道内で雨宿り。ずっと悪天候の下にいた所為か雨の降らない隧道の中は安心した、というかほっとした。

小雨になったのを見計らって下山。天候には恵まれなかったが、この雰囲気はこれはこれで悪くなかった。

      手彫りのトンネル 丹生谷の吊り橋50選より 完

 

手彫りのトンネル その2-2 丹生谷の吊り橋50選より

石碑、石仏、古隧道。見事な3点セットである。

さて、残念ながら通り抜けられないので山を越えて反対側を見に行くとしよう。

地図には載っていないがトンネルの広場の向こうにも道が延びていた。こちらの方角に尾根越えの車道があるので、この道をたどってみる。

隧道までは荷車ぐらいが通れる道だったが、こちらは完全に歩道だ。

しばらく歩くと墓地の横に通じていたので、下を通っていた車道に降りて更に進む。写真は尾根のあたり。

尾根を越えると人の気配が感じられなかった。使われていない畜産系と思しき建物と空き地が広がっていた。

ここが隧道へ通じる道の入口。

ほぼ廃道と化しているはずだが割ときれいだ。

こちらが反対側の坑門だ。見た目は一緒。

向こうと違い、こちらは壁がただのセメントだ。

洒落っ気を出したのは集落側だけか。

あとで古地図を見ると隧道開削以前は多少ずれているがこの上を越えていたようなので、隧道が造られてさぞ楽になっただろう。

さて、こちら側にも地図に載っていない小道が反対側に延びていたのでたどってみる。

こちらは半ば廃道状態だ。

花を愛でつつ進む。

なんとか車道につながっていた。

ここに出てきた。トンネルを通り抜けることは出来なかったが、とりあえず探索完了だ。

帰りは川島地区の南西の出原谷川に出て川沿いを歩く。

ここからおまけ。川の対岸に水路があったが、川が急カーブした地点の岩壁を桟橋で越えていた。

主題と全然関係ないがこういうのも好きなのである。

さて、掲載されていた3つのトンネルの残りの1つだが、ややメジャーだがせっかくなのでこれも紹介することにする。

 

  手彫りのトンネル その3 木馬道隧道 丹生谷の吊り橋50選より に続く

 

 

参考文献 丹生谷の吊り橋50選 製作:地域再生塾丹生谷応援団 徳島大学地域再生

 

手彫りのトンネル その2-1 丹生谷の吊り橋50選より

一つ目のトンネルからしばらく西へ車を走らせて木頭出原という場所に移動する。地図によると国道から那賀川をはさんで対岸の川島地区に2つ目のトンネルがあるようだ。

 

探索の前に街中で小洒落たコーヒースタンドを見つけて一服。

Coffee Stand Tanizaki というお店。しばし本格的なコーヒーを優雅に楽しむ。

車を川沿いに停めて出原橋を渡る。正面に見えるのが川切地区で、そこから坂を登った川島地区が目的地だ。

きれいな川だ。風も気持ち良い。

でも無意識のうちに川岸になにかないかチェックしてしまう(笑)

坂を上ると平地が広がっていた。川島地区だ。

地理院地図には正面に見える尾根を斜めに越えていく破線道が描かれており、表記はないがトンネルはそこだと思われる。写真の小道がその道のようだ。

坂を登っていく。

川島地区の全景。

やがて道は小さな広場にたどり着く。用途不明のコンクリート構造物に石碑と石仏。そして右には・・・

出た。吊り橋50選の小さな写真でも充分なインパクトがあったこのトンネル。五角形の断面を持つ観音掘りのトンネルだ。

残念ながらトンネルはその運用を終えていた。

入口付近は巻立てされて奥は素掘りと、少し古いトンネルなら珍しくない造りだが、横は石垣が綺麗に荒く並び、頭上はセメントか?三角屋根を形成している。トンネルの専門じゃないのではっきり言えないがかなり珍しい造りじゃなかろうか?

石垣からむにゅっとはみ出たセメント。これを造ったのは専門家ではない?

中心部の素掘りゾーンには鉄骨、パイプ、金網で支保工が。それと壁面は完全な素掘りではない?そして辛うじて見える出口の光。右にカーブしているようだ。

入口の横には岩屋に安置された石仏が1体。多分如意輪観音だと思う。

そして石碑は”墜”道完成記念碑だった。昭和二十二年一月十二日 最後は着工か?昭和二十三年二月十日 読めない(笑)。そして左には工事委員、五人の名前、最後に川島部落と刻まれている。このトンネルは一年ちょいかけて川島地区の人たちが掘ったということだろう。

 

   手彫りのトンネル その2-2 丹生谷の吊り橋50選より に続く

 

参考文献 丹生谷の吊り橋50選 製作:地域再生塾丹生谷応援団 徳島大学地域再生