人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

月の詰め合わせ

天候によりちょっと気力と体力が削られたのでおいも谷の続きはお休みさせて頂きます。代わりに小ネタを。

静岡県浜松市には月という地名がある。月地区には名前の由来の石碑が建っているが諸説あるらしい。

月橋。月地区に架かる橋。ツキ・ブリッジとなっている。ちなみにムーン・ブリッジだと和歌山市に存在する。

橋自体は普通の橋だ。

銘板。つきはし。

月のバス停。

遠鉄は遠州鉄道の略。

1日の本数はなんと月~金6時56分の1本のみ。

そして今年の9月一杯で廃線となっている。

バス停の場所から月橋があった月地区は天竜川を挟んだ対岸にある。更に、人家は両隣のバス停まで行かないと見当たらない。

割と有名な月まで3kmの青看板。

最後は月まで3kmの青看板の裏というひたすらどうでもいいネタで。雪かきで体が痛いです。

次週は2022年を振り返って。

 

苧生茂(おいも)谷の林用軌道 3

前回は踏み跡を辿っていったが、今回はレールを探しながらなるべく川辺を歩くことにした。本日2本目。

もちろん軌道跡も探していくのだが、経験からすると、流されて川に落ちているレール=川沿いの路盤や倒壊した橋脚から落ちたり外れたりした可能性が高い。つまり川沿いを探していけば必ず軌道跡との接点があるはずだ。

大岩の下から突き出ていた3本目。

移動した河床に埋もれていた4本目。

前方に多段式の滝が見えてきた。手前は淵になっていてパッと見少し厄介そうだ。

左側の岩壁を手前に回り込むと浅い谷があったが、はるか上まで延びていて滝の迂回には使えそうもなかった。

しかし、川を渡った滝の右側は灌木にさえぎられてよく見えなかっただけで、割と簡単に滝の横を登ることができた。

滝の上に出た。

という訳で5本目。

滝の下と比べると川岸が小さくなり、左右に岩壁がそびえ立って狭くなってきた。そして軌道跡はいまだ見えず。

あったああぁぁ!トロッコの車輪だ!こんなところに!

ネットの沢登りの記事に1枚だけ写真が載っていたので、どこかにあるんだろうなぁとは思っていたが・・・

片側の車輪は半分欠けている。どれだけの力がかかったのだろう。

さて、せっかくなのでレールの幅、軌間を測ってみる。

車輪の尖ったところで58cmぐらいだったので、Twitterでの助言もあり、軌間は600mmだったと思われる。

車輪という大物に後ろ髪を引かれながらも前進を再開した。

左右にそそり立つ岩壁が険しさを増す。

あっ

目の前に現れたのは見て楽しむには充分すぎるが、自分が正面突破するのは絶対無理な滝だった。

左側。灌木が多少生えているとはいえ超角度の急斜面だ。

右側。左以上に無理な断崖絶壁。

だめだ。これ以上は進めない。撤退だ。

しかし半ば諦めていたトロッコの車輪を見つけることが出来た。軌道跡は見つからなかったが上出来だ。満足・・・

するわけがない。してたまるか。軌道跡がまだだ。次はあの滝の上を目指すことにする。

 

    苧生茂(おいも)谷の林用軌道 4   へ続く

 

苧生茂(おいも)谷の林用軌道 2 

横にそびえる絶壁。見上げた限りでは軌道跡は見当たらない。

道なき道を前進する。

対岸も白い絶壁がそそり立つ。こちらも軌道跡らしきものは確認できない。

川も小さな滝を造りながらどんどん高度を上げている。

歩いている道はたまにささやかな石垣が組まれていたりするが、傾斜からして軌道跡ではありえない。いったい路盤はどこにあるのか。

軌道の手掛かりこそ見つからないものの、目を見張るような巨岩がごろごろしていて退屈はしない。本筋から離れているが。

碍子だ。電気をひいていたのか。それとも通信用か。

最初、遠くから見てしめ縄が張ってあると勘違いした大岩。

やや開けた場所に到着した。ここは・・・

本日の仮目標としていた地点だが軌道に関する手掛かりは見つからず。夕方に用事があったのでここで撤収する。

帰路の途中、川に沿って歩いているとレールを発見。

本日の最後の戦果。よくこれに気づいたな自分。

ちなみにワイヤーはたくさん転がっている。

高原川まで戻って来た。ここを渡ると近いのだが橋の近辺は深さと勢いがウェーダーではちょっと歯が立たない。なので朝来たルートを戻りながらもっと距離を短縮できるルートを探す。第1回の探索はこんな感じの小手調べで終わった。

 

1カ月後の10月の早朝、日の光とともに朝もやが晴れて谷が姿を現し始める。今回は本格的な探索を行うがいったいどこまで遡行できるやら。

相変わらずの急流だが、前回より少しだけ楽に渡河できるルートを見つけていた。

ウェーダーから長靴に履き替えて出発だ。

河原に降りたあと、川の中を注意しながら進み始める。今回の目的のひとつは遺物の発見。すなわち

レール探しだ。そしてできれば沢屋さんのサイトに一枚だけ写真があった”あれ”を見つけられないかと淡い期待を抱いていた。

 

    苧生茂(おいも)谷の林用軌道 3 へ続く

 

苧生茂(おいも)谷の林用軌道 1

2022年9月の早朝、苧生茂谷を国道より望む。第一回目のアタックだが、今回はどちらかというと偵察の意味合いが強い。まずは渡河にどれぐらいかかるのか。谷の実際の様子。そしてできればレールなどの遺物の確認。

最終的な目標は軌道の路盤を確認することだが、そう簡単に見つからないだろうとも思っていた。ネットで調べた沢登りの記事の中で谷のかなり上部までレールが落ちていたとあり、つまりだいぶ奥に軌道が存在したのではないかと推測したからだ。

河原でウェーダーに着替えて渡河を開始する。ただ、谷への最短距離は深くて流れが強いため、流れが分岐して勢いが衰え、尚且つ浅くなった場所を探して河原を移動する。

なんとか渡れるぐらいになった本流を乗り切って振り返ったところ。両腕の杖でふんばってなんとかというところだが。

谷は橋のそばにあるのだが、橋が小さく見えるほどの迂回を強いられた。

細い流れや灌木が茂る中州を突っ切って対岸を目指す。

ようやく対岸にたどり着く。初回ということもあり迷走した結果1時間弱ぐらいかかってしまった。

橋を目印に岸辺の藪をかき分けて進み、やっとのことで谷に到着した。

ワイヤーが落ちている。索道用のものだろう。

崩落した苧生茂橋の反対側にたどり着いた。ちなみに流される前の橋をクイックニック氏が穴と橋とあれやらこれやらで記事にしている。

ちなみにリアルタイムで私が参加した合同探索の記事を掲載中なので良かったらそちらもどうぞ。3回目の私はクイック氏に変態の称号を受けました(笑)

憧れの岩屋谷・天空の隧道訪問記【序】(奈良県吉野郡上北山村白川) | 穴と橋とあれやらこれやら

右に映る小屋の軒先にウェーダーを置かせてもらって、まずは林道を進む。

林道が谷にぶつかりっ左に曲がったところで道を外れる。地形からして多分このあたりに・・・

あった。上流へ向かう踏み跡だ。

崖っぷちのか細い徒歩道を進む。

足元の下方に川面が見える。

最後はトラロープが張ってあり、ちょっとした崖を降りて川岸へ。

谷の上流に向かって歩き始める。レールが落ちてないか川をガン見しながら。

川岸は広さだけは充分にあったので、そういった意味では歩くのに苦労しなかった。

目の前に石垣が現れた。堰堤のように横に広がっているが用途は不明。

植林地の土台の石垣か?私には判断がつかなかった。

踏み跡らしきものを辿りながら進んでいくと、道のような平場が川に向かっているのを見つけた。まさか軌道跡か?

しかしたどり着いたのは堰堤だった。工事の作業道か。軌道跡ではなかったようだ。残念・・・

と思ったら堰堤の横にレールが立てかけてあった!

流れてきたのを誰かが立てかけたようだが、現物を見るとやはり軌道が存在したという実感がわいた。

とりあえずこの辺りには軌道跡は無さそうだ。と、思いたい。やはりもっと上流なのか。木で組んだ桟道の作業軌道みたいのだと流石に跡が残らないのでお手上げだが。とにかくもう少し上流まで遡ってみよう。

 

      苧生茂(おいも)谷の林用軌道 2 へ続く

 

苧生茂(おいも)谷の林用軌道 0

岐阜県飛騨市神岡町から南東へ国道471号線を高原川沿いに進むと、金木戸森林鉄道を始めとするいくつかの軌道跡が存在するが、国道の対岸の谷に民間の軌道があったと、とあるtwitterの書き込みで知った。ネットでは軌道で検索してもヒットしなかったが沢登りの記事を探すと川にレールが落ちていたとの記述を見つけた。谷の名は苧生茂(おいも)谷。国道から見た最初の印象は なんか凄そうな谷 である。

 

谷の入り口は岩壁がそそり立ち深い緑に覆われている。無意識に軌道跡っぽいものがないか目を凝らしたが無論そんなものは見当たらない。眺める分にはいい景色ですむが、実際に行くとなるとぶっちゃけ見ているだけで少し怖気づいた。

しかもそれ以前に根本的な問題があった。地図には橋が描かれているが橋が無い。2021年5月の豪雨で橋が半分流されているのだ。写真に映る橋が流された部分は工事のため流れを変えて水を無くしているが、奥の橋が架かったままの場所には本流が流れている。渡河の必要がある。

つまり、高原川を渡河してようやく探索のスタートラインに立つことができる。そしてあの深そうな谷を遡行して軌道跡を探さなければいけない。いったいどれぐらい奥に軌道があるのやら。行ってみるしかあるまい。

 

    苧生茂(おいも)谷の林用軌道 1 へ続く

 

 

 

参考資料 twitter小坂森林鉄道研究会

     yamareco高原川苧生茂(おいも)谷

 

気田森林鉄道8 門桁地区対岸区間 後編

沢に出たが河原にいろいろ転がっている。

四角いコンクリートの橋桁と橋脚の一部?らしきもの。それとレールも見える。

木橋よりは頑丈でも橋脚や橋台が壊されてしまってはどうしようもない。

余談だが、反対側の路盤に登るとなぜかそこだけ今も整備されているのかと思うほど綺麗だった。

緩やかな斜面の植林帯を軌道跡は抜けていく。

路盤上にも木が植えられて大岩が転がっている。道として見るなら末期の光景だ。

広く浅い枯れ沢のようなところに小さな橋台があった。

一跨ぎで越えられるほどの小さな橋台だが

エッジが鋭く加工されて川底部分もしっかり固めてある。なんでここだけ妙にしっかり造ってあるんだ?

この区間最大の切通しが現れた。削られた岩山の断面が荒々しい。ここで左に視線を移すと

平場が延びているのが見える。ここは気田森林鉄道全体でも希少な旧線部分があるのだ。

切通しは右に緩やかなカーブを描いている。

この岩山を削るのは大変だったと思う。やはり線形の改良のためだろうか。

切通しを抜けて上からの俯瞰。右から旧線が合流しており、右端に石垣が見える。ちなみに旧線部分の写真データを間違えて消してしまい、確か特筆すべきものも無かったはずなので、わざわざもう一度行くのも微妙に思う歯がゆい場所だ。

緩やかにカーブを描きながら支えている石垣。

分岐している?

右の切通しを通ると

コンクリート桁橋が。片方が横に倒れてずれているみたいで綺麗に架かっていない。

それでも初めてのちゃんと架かった橋だ。

反対側から。橋台を少し増設している?交換所は無かった筈なので、橋桁の向きから切通しが新線で川側が旧線か?

右に石垣が現れた頃、微妙に雰囲気が変わってきた。

奥の方に椎茸か?キノコの原木が置いてある。集落までの距離が近づいてきたので、このスペースも活用されているようだ。

木にかぶせたビニールシートが薄ら雪化粧している。そして前方は

車道に削られている。残存軌道跡もここで終了だ。

本来の軌道は車道の上方を通っていたようだ。このあとは林道化されて更に深奥部へと伸びている。まあ、この門桁まで来るのも一苦労なのだが。

 

   気田森林鉄道8 門桁地区対岸区間 後編 完

 

気田森林鉄道7 門桁地区対岸区間 前編

気田森林鉄道 1

https://blog.hatena.ne.jp/msx4/msx4.hatenablog.com/edit?entry=10257846132625394285

ただ今静岡県浜松市春野町の春野歴史民俗資料館で来年の2月25日まで特別企画展 「春野の近代化遺産 気多森林鉄道」をやっております。というわけで3年ぶりに続きを書かせていただきます。勝坂集落から北はほぼ軌道跡は車道に転用されており、橋脚や橋台などが点在するが、ここでは車道化されていない軌道跡を追っていきたい。探索日は2011年12月。

写真は気田川の最上流部の集落である門桁地区。その端に車を停めて折り畳み自転車で下流へと向かう。

集落の下流の門桁大橋を左岸に渡って振り返ったところ。そこから右を見ると

細い道が続いている。ここが車道化を免れた軌道跡の入口だ、愛車を林に隠して出発だ。

最初は普通の徒歩道だが

だんだん軌道跡っぽくなってくる。黒いのはゴム管。

雪が残る軌道跡。土砂が堆積して斜めになってる。

路盤が消えた。

そこそこ大きな木橋が架けられていたようだ。横がくっついているので桟道か。正面突破は無理そうだ。

下を覗きこむが歩ける河原が無い。だが場所によって水深は浅そうだ。

この頃の定番装備である折りたたみ長靴と腕カバーを装着して川に入る。

でっかいコンクリートの橋脚の一部が川に転がっている。

石垣もところどころ歯抜けになっている。つまり石垣を組んで斜面に路盤を作り上げているわけか。

路盤が安定したと思われるところまでスキップして軌道跡に復帰する。

路盤がごっそりと抜けている。と、埋もれていた枕木が顔を見せていた。

上流側から。巨大な石垣と木橋で越えていたこの場所は難所だと思ったが、特に名前は聞いたことがないのでこれくらいでは難所とは呼べないのだろう。

復活した(?)路盤を先に進む。

沢に橋の跡が。木橋が架かっていたと思われる。

橋台に枕木が

沢に降りて見上げると見事な橋台がそそり立つ。(下流側)

更に前進。たまにでかい岩が転がっている。

東海パルプ社有林の看板。今は吸収合併で特殊東海製紙株式会社になっている。

    気田森林鉄道7 門桁地区対岸区間 後編 へ続く