人生崖っぷち(物理)

森林鉄道、廃道、廃隧道など

布川橋 後編

この道はダム湖畔にあることからダム工事用かメンテナンス関係のものなのか?それとも林道なのか?橋のたもとの崩落が道の命運を断ったと思われるが、実際に使用されたのか?

まあとりあえず、道があった→進む。と、何も考えずにシンプルに行くことにする。

歩き始めてすぐに山側の見上げる場所にコンクリの構造物が現れた。

何かの台座のようだと近くまで登ってみると、太いワイヤーが目に入った。

上を覗いてみるが何もない。しかしワイヤーがあるということは索道の基礎ではないかと思う。

道から5mぐらい上にある。林業用かと思ったが、布川橋の工事用かも?

さて、肝心の道がどこまで続いてるか分からないので先を急ぐ。

と思ったら道が無くなった。あっけなく終了?

ではなく土砂崩れだ。乗り越えると道が続いている。

木々の間からダム湖が見える。湖上に響く車の音以外に人の気配はない。

またしても道が途切れている。

しかし斜面を乗り越えると道は復活した。崩落地点がいい感じに自然に帰っているので騙されそうになる。

今度は前方がひらけていて明るい。

水の無い浅い谷?だ。

それとも地滑りの跡かなにかか?道の部分も完全に埋もれているし。

少し進むとまた同じような地形が。

かなり上まで一直線に空間が開けている。自然の地形にしてはなにか不自然な気がする。人工の匂いがするような。でもなんだか分からない。

そこから先は岩を削った岩壁が目を引くが

道自体はみたび斜面と化して消えている。

しかし先に進んでも今度は道は見当たらない。

そして巨大な岩塊が。これは間違いなく道は造られていない。この手前で道は終わっているようだ。

道が消えた場所からちょうど布川橋が見えた。

場所が場所だけに横からのアングルは見れないと思っていたのでラッキーだ。

橋からは200mぐらいしか進んでいない。なんだろう?この中途半端な道の造成は。

考えても分からないので撤収する。

ダム湖畔をえんえんと歩いていたかもしれなかったのが、短距離で片が付いたために短い時間で探索が終わってしまった。

目的は達したのだが内容がやや消化不良だ。まあ、現地での考察のみでは仕方ない。

帰りに前編で気になっていた場所に踏み込んでみると、やはり最初の作業道につながっていた。おかげで登攀地点まで楽に戻ることが出来た。

国道に降りて探索終了。とりあえずどうなってるか分かったので満足した。が、ふと他の地図はどうだろうと思い立ってマピオン地図を見てみると、最新の地理院地図に無かった道がちゃんと載っているではないか。しかも道が途切れた地点から200mほど先で道が復活し、ダムまで繋がっているようだ。
親柱に布川橋は昭和42年竣工と書いてあったが、その年はこの下流の高根第一ダムにコンクリートの打設、つまり生コンクリートを流し込んでる工事の真っ最中だ。ダム工事と並行して橋と道が造られたのは間違いないが、これだけ立派な橋を造っておいて道のほうが1部未成とか新たな謎が。どこぞに資料はないかというところで終わります。

 

      布川橋 後編 完

 

  参考資料 ウィキペディア

布川橋 中編

これが例の橋か。思った以上に大きかった。そして泥。

木々の隙間から見てみると、どうやらトラス橋のようだ。

名前は”ぬのかわばし”。

竣工は昭和43年12月。両親柱とも頭がガリガリ削られていて年代を感じる。

親柱の横にも転落防止の・・・名前なんでしたっけ?がちゃんとある。

にしても酷い泥だ。長靴で来て本当に良かった。ちなみに白いバンドは塩水を含ませてヤマビルよけに使う。

橋の上まで泥が侵食しているが、気になったのは轍の跡。車が侵入している!?あと欄干のガードレールが微妙に低くてちょっと怖い。

なにはともあれ渡ってみよう。

ここからだと山に突っ込んで終了!に見えるのだが・・・

下流側のダム湖方向。かなりの高さがある。

誰だ断崖に黄色いペンキぶちまけたのは。と一瞬思ったが苔かなにかか?

上流側には小振りだが見事な滝があった。

隠れた名瀑というやつか。なんか得した気分。

さて、橋の端に着いたがこれは・・・

まずは親柱を。”布川”。ここで川の名前を知った。

そして”布川橋”。直球の表現だ。

雑木をくぐって見上げてみると岩が積もった急斜面が。ここは未成道なのか?

だが右側の脇を見るとまだ奥があるように見えたので、岩を乗り越えて前進すると・・・

平場、いや、道だ。完全な廃道だが奥に延びている。地図には載っていなかったが(注1)道はあったのだ。


       布川橋 後編 に続く

 

 注1 ”地理院”の地図には載っていない。

 

布川橋 前編

 出典:国土地理院地図(電子国土web)

 

岐阜の高山市から長野の木曽へと抜ける国道361号線は途中でいくつかのダム湖をかすめていくが、そのうちの一つ高根乗鞍湖の南端(上流部)に林道の物と思しき橋が架かっているのが地理院地図で確認できる。が・・・

出典:国土地理院地図(電子国土web)

 

橋の先に道は無い。高根乗鞍湖の西岸に道は記載されておらず橋が架かって終わりとなっている。どうなってるのかちょっと見たくなった。探索日は2022年10月。

 

高根乗鞍湖の湖岸から橋のあると思われる場所(矢印)を眺めてみたが、半島部の影の奥まった所にあるので直接視認できない。

最初は素直に林道を辿ろうとしたが、2kmぐらい歩かなければいけず、気分的に軽い探索のつもりだったのでちょっと面倒だと思った。では至近距離はというとダム湖に流れ込む日和田川がゆく手を遮っている。しかし地図をよく見ると1か所だけ行けそうな場所があった。それが上の写真の場所だ。

道路の線形改良によって国道が猿飛1号橋と2号橋を通って1瞬だけ目的地がある日和田川の左岸に渡っているのだ。ちなみに猿飛の名が匂わしているが、ちょっとした渓谷になっている。

ここを2,30m登って上の林だか森を突っ切れば橋に近い林道に出られるはずだ。

ガードレールと法面の隙間から突入する。

急斜面だがなんとかいけそうだ。

木や木の根につかまりながらルートを探す。

見下ろすと思った以上に高い。完全な崖だったらアウトだった。

なんとか上の平らな場所まで登り切ったが、目に飛び込んで来たのは・・・石垣!? これはちょっと予想外だった。

石垣の上は平場になっており、左右に延びていた。これは道か。林道は100m以上向こうのはずなので地図に載っていない作業道の1種と思われる。林道と並行して延びているが、試しに橋に近い右の方に向かって歩き出した。

藪で道を見失いそうになりながら進むが、これが作業道だとしてこの先が林道につながっているとは限らないと思い、GPSで林道との距離がそこそこ近づいた地点で熊笹の藪に突入した。

途中で遭遇した岩は何となく犬の横顔に見えた。犬岩と名付けよう。

熊笹をかき分けながら進むとほどなく林道に出た。

左を見て右を見る。草の茂り具合から林道の使用頻度は低そうな感じがした。右にあと2,300m進めば橋に着くはずだ。

しばらく歩くと右手に草が少ない場所があった。もしやと思ったのは先ほどの作業道との接続地点ではないかと。帰りに確認しよう。

日当たりのせいか草の少ない普通の林道っぽくなった。

やがて道はカーブを描きながら下り坂に。

S字を描きながら降りていく。多分もうすぐだ。

坂を下りきると道がドロドロに。水はけが悪そうだ・・・長靴履いてきてよかった。

着いた!橋だ。

       布川橋 中編 へ続く

 

下仁田森林鉄道 軌道跡 その3

少し分かりにくいが手前の地面と石垣から沢を渡って向こう岸に垂れたレールと正体不明の”?”。そして本流との出合いにも石垣が見える。

沢を渡る。レールの上に生えているように見えるこの木はもともとどこに生えていたのだろう。

石垣の断片に見えたものは中がスカスカだったが、回り込んで見てみると・・・

橋台だ。ここで渡河していたのか。

つまりこんな感じで軌道が通っていたのだろう。前話で出てきた脱線防止レールで分かるようにカーブしていたのだ。

そして問題のこれ。なんだろう?林鉄の器具や機械関係に弱いので正体は不明。

さて、この先はどうなっている。

渡河すると橋脚の基礎らしきコンクリートの土台が河原に埋もれている。

対岸を見上げると橋台と橋脚の基礎らしきものが見えた。

橋台からはレールが垂れ下がっている。

車道のある左岸にどれだけ路盤が残っているやら

車道のすぐ下に点在する軌道跡 

川には曲がりくねったレールがたくさん転がっている。

最初は危惧していたが、思ったより路盤が残っている。

しかし川面との高低差が無くなってきた時点で路盤を見失う。

車道工事の影響か増水時の地形変化か・・・

しかしレールだけはいまだ川沿いにごろごろ転がっている。

改めて写真を見て気付いたが、対岸にもレールが挟まっている。でも流されてきたものか路盤が対岸に移ったのか判別がつかない。

道路に看板が見えた。駐車地点のゲートの看板にはあと3.4kmとあったので、ここまでで1.4km歩いてきたことになる。

この石垣っぽく見えるものは林鉄に関係なさそうだ。

レールだけは豊富にあるのだが。

やがて大きめの砂防ダムが現れた。

上のダムの写真の4分後に撮ったのがこれ。ぶっちゃけ記憶にない。戻りながら撮ったのか、ダムの上流で撮ったのか。上流ならば対岸に軌道が移っていたことになる。そしてこの後数枚写真を撮って車に引き返している。

記憶にない場所part2。時間を見ると駐車地点に戻った時から1時間後に撮っている。未舗装の道路だがどこに移動したのか全然覚えていない(笑)そして多分このあたりの下に降りたと思われるのが次の写真。

川面ぎりぎりに石垣と平場がある。

埋もれたレールを発見して軌道跡と確認。

さすがに川面に近すぎなので、多分昔は水面がもっと低かったと思われる。土砂の堆積でこんなぎりぎりの高さになったのだろう。じゃなきゃ増水したら1発で冠水してしまう。

上の2枚の写真を見るとここの前後は平場が消えているので1番状態が良い場所を撮ったようだ。そしてこの写真が探索の最後の写真だった。実はこの後2度目の探索を行っているが、とりあえず一旦完結とさせてもらう。

 

        下仁田森林鉄道 軌道跡 その3 完

       

            

                次回予告

 

つい先日、とある理由で前々から気になっていた橋へようやく行ってきた。

 


      布川橋 前編 (小ネタですよ)

 

下仁田森林鉄道 軌道跡 その2

石垣の一部が崩落している。が、通過する分には問題ないレベルだ。

抜けた先は路盤が完全に消滅していたが、傾斜は緩いのでここも普通に通過する。

砂防ダムが出現。しかし復活した軌道跡はぎりぎりその上を越えている。

レールは載っていないが枕木が残っている。

犬釘つきだ

またもや路盤が消失しているが、こちらはかなりの急斜面だ。幸い踏み跡があり、問題なくクリアする。

だんだんと河原から高度が上がっている。

この辺から岩盤を削った土工が目立つ。

きれいに直線の軌道跡が残っている。石垣のおかげだ。

だいぶ朽ちているが枕木も残っている。

ここまでで一番の難所・・・に見せかけて実はそうでもない。ここから連続写真。

枕木が今にも落ちそうな感じだった。某路線のように枕木に接着剤でもつけてあるのかと疑いたくなるようなレベルは稀だと思うので今も残っているか怪しいものだ。

外されたレールは多く残っているけれど敷設された当時そのままの姿は残っていない。

大規模な崩落が起きている。どうやって突破したのか覚えていない。

む、

またもや砂防堰堤が。今度は路盤を塞いでいる。

幸い突破は容易だった。が、

上流側は堆積した土砂で路盤が埋もれていた。

路盤はしばらく土砂の下か。

河床が上がったせいで対岸の車道へのエスケープが容易そうなのは良いんだが。

と思っていたら1,2分で路盤が現れた。そしてさりげなく見えたのは脱線防止用の二重レール。ということは・・

と、その前に左手から流れ込む沢が現れた。

そして何やらいろいろと出てきたぞ。

 

    下仁田森林鉄道 軌道跡 その3 へ続く

 

下仁田森林鉄道 軌道跡 その1

直近の探索が情報不足と接近困難でくすぶっているので昔の探索を引っ張り出しました。古道もいいがやっぱり(林)鉄分をしっかりとらなければ・・・

ここは群馬県上野村の奥神流湖。2013年なのでもう9年前になる。

神流川上流域の木材の搬出のために敷設されたのが下仁田森林鉄道。割と奥地である。

前橋営林局高崎営林署の管轄で昭和9年から昭和39年まで稼働していた。

御巣鷹の尾根という看板が出ている。廃止から21年後の昭和60年に日航機が墜落した現場だ。ろくな道など存在しない現場に行くために荒れ果てた下仁田林鉄の軌道跡を突き進んだという。

橋脚が見える。

この時はここで通行止めになっていた。場所は長戸沢と呼ばれるあたりのはず。

しかし、写真左手の橋を渡り

橋のたもとから上流に足を踏み入れると

そこには平場が川に沿って延びていた。軌道跡だ。

ダム湖である神流湖による水没や車道工事から逃れた軌道跡の残存区間だ。

レールが落ちている。

石垣や岩盤の切り取り工はあるが、軌道跡が通る川岸は土の斜面そのままのところが多い感じだ。

またもレール。埋まっている。

昭和39年なら森林鉄道全体で見ても晩期なのでレールは回収はされなかったのか。

振り返って見て。完全に崩れてしまった場所もあるが河原がすぐ下なので難易度は低め。

軌道跡としては歩きやすいほうだと思う。

なにはともあれレールが多いと嬉しい。

どんどん進む。

外したレールを束ねて置いてあったりする。

しかし9年前だと写真を見ても記憶があやふやだ。今はどうなっているやら。

 

     下仁田森林鉄道 軌道跡その2 へ続く

 

 

  参考文献 全国森林鉄道 JTBパブリッシング

宣旨帰り 2

下に向かってどんどん降りていったが、石段が無くなると多分こちらが道だろう、というレベルになった。踏み跡と草むらと岩場を踏み越えていく。

視界が開けて川面がだんだん近づいてきた。正面を見ると垂直の岩壁がそそり立つ。

ここか! 草のせいで分かりづらかったが岩壁と河原の間に段がある。

ここが宣旨返りと呼ばれた古道。もっと高所の岩壁に刻まれた道という先入観があったが、イメージとちょっと違った。

しかし道は唐突に終わりを告げた。高さはさほどでもないので河原に降りる。

石垣の残骸と変色した岩壁が残っているが、本来なら黄色のラインのように道があったのだろう。これが水害のときの増水で破壊された場所か。

残った道の部分に登れるように鉄板が設置されている。一応再整備がされているのか?

振り返って見ると岩壁が微妙にオーバーハングしている。

もう一度河原に降りて2つ目の鉄板を登ると

大岩がごろごろ転がっていて道が完全に消えていた。

すると、右上方に唐突に立派な橋が現れた。

巨大な谷間を流れるなめ滝に驚きながら一息入れる。

谷の向こうに道が復活しているがこの谷の部分はどうなっていたのだろう?橋とか架かっていたのか?

道によじ登るとそこは古道の雰囲気を色濃く残していた。

岩壁に沿ってカーブを曲がると

小さな切通しが。

その先は凄まじい藪で道がどうなっているかも分からなかった。たまらず下に降りて迂回する。

多分岩壁の下あたりを通っているのだろうが、草と岩で分からない。

古道の位置が分からないのはともかく、車道へ戻る道もある筈だがまだ先なのか。

悪い足場をえっちらおっちらと前進する。

すると石畳らしきものを発見。古道のようだ。

草がぼうぼうで分かりにくいが、前方で坂になっている。

坂を登ると上の方に車道のガードレールが見えてきた。ここで正解のようだ。

宣旨帰りを通り抜けた。

振り返ると草しか見えない坂道が見える。これは冬のほうが分かりやすそうだ。

バリケードが無ければ意識しにくいこちら側の出入り口。

看板もご覧のとおり。向こう側は閉鎖してなかったし何か中途半端に放置されてるような感じだ。

車道の横は断崖絶壁。こりゃ高巻きは無理だ。

先ほど見えた橋まで戻って来た。名前は小鹿橋。あとで知ったがこの先代の橋も平成23年の水害で流されている。この高さの橋が流されたのか・・・

よく考えたらこの谷と断崖絶壁のせいで増水したら通れなくなる下ルートを強制されたのか。まあ、中世に道を通そうとしたら一番合理的なルートには違いない。

 

           宣旨帰り 完