旧橋を発見した日の夜、撮った写真のチェックに入る。30度越えの炎天下のため橋上などは機械的に撮って本命の下の橋に集中していたからだ。上の写真は橋の東から。
向かって左には ”八講川” 。川の名だ。ちなみに橋の東の集落は八講田。草をどかしながらのためアップで撮影。
右は手前が陥没していたので離れて撮影。こちらは橋のなまえ・・・
悪 口 寺 橋
・・・・橋名が〇〇寺橋だと〇〇寺が名の由来になっていると思うのだが・・・わる、ぐち、でら!?
ちょっと意表を突かれた
西側の銘板の写真を見てみると
あっこうじばし。・・・まあこういう読み方だろう。しかし悪口寺なんて名前の寺が存在している・・・いた?・・・うーむ、ストレートに読むと”わるぐち”の寺ってまた変わった名前だ。と思っていたのだが、調べてみると悪口(あっこう)というのはちゃんとした仏教用語だった。知らなかった。まあ、意味は人をあしざまに言うこと、とそのままなので、お寺の名前にそれを付けるのは疑問が残るのだが。
最後の親柱には昭和五十四年九月とあり、下の旧橋はこれ以前に使われていたのだろう。ここで分かるのはここまでだ。旧橋と悪口寺については情報が足りない。
しばらくたった休みの日、ある目的をもって再度訪門してみた。が、その前に少しばかり国道からの写真を撮ることにした。
黄色い矢印が指し示すのが悪口寺橋だ。今昔マップを見てみると、明治43年の地図の同じ場所に橋の表示があったので、代替わりはしているが昔からある橋のようだ。最初に見た時に田んぼの真ん中(赤丸)にあるような簡素な橋と同レベルだなと思っていたが、現在の橋が出来る10年前(昭和43年)の地図には悪口寺橋のある道は破線、つまり徒歩道になっている。それならあの大きさも納得だ。多分車道に改修すると同時に橋も新造されたのだろう。
それはそうとしてこの場所にも銘板がすごく自己主張をしている1本の橋がある。
かにかけはし(蟹懸橋)
国道上の普通の橋だが、この銘板と案内板が目に留まった。
要するにスフィンクスごっこをしていた化け蟹が和尚の一撃をくらい、橋になって息絶えたという伝説だ。詳しいことは案内板を見てほしい。
だいぶ横道にそれたが悪口寺橋にやって来た。あ、よく見ると足元に旧橋へと降りていく坂がある。
前回見渡して、もうこの場ではなにも分からないとあきらめるところだが、まだだ
橋の下側のチェックをしていない。もしかしたら銘板が・・・と、水に足を入れようとした時、拳より一回り大きい沢蟹が深みへと消えていったのが印象的だった。はたして・・・
一目で終了(笑) プレートガーターでもなんでもないただのH鋼だった。旧橋の現地調査はここまでだ。
あとは地元の人に聞くぐらいしかないが、この炎天下に出歩いている人などおらず、ここで撤収となった。戸口を叩くのは難易度が高いです。
後日、小矢部市の図書館に足を運び、悪口寺のほうも調べてみた。が、小矢部市史やこの地域の歴史などをまとめたミニ誌を調べてみたがどこにも載ってはいなかった。明治43年発行の地図を現在の地図と見比べてみたが、この一帯にあった寺の数に変動はない。明治後半以前に存在していたのだとすると廃仏毀釈あたりで潰されてしまったのか。現時点では不明。今は橋にのみ、その名を残しているという訳だ。
国道から見える橋 完
参考サイト 今昔マップ
一日一生仏陀のことば